バザーのチケット
- ncu807
- 10月26日
- 読了時間: 2分
息子が幼稚園のとき、とあるイベントがあった。
かみさんはイベントの役員をしており、息子の面倒は私が見ることになった。
当時の私は、携帯ショップ運営会社の専務。
休みなどほとんどなく、各地の店舗対応に追われる日々だった。
その日も例外ではなく、昼前に店から緊急の連絡が入った。
私は息子に「ちょっと行ってくる」とだけ言い残し、イベント会場を後にした。
ほんの少しのつもりだった。
だが、店舗につくと問題は一つでは済まず、次から次へと対応が続いた。
結局、家に戻ったのは夜だった。
かみさんは、かんかんに怒っていた。
「あなたが食券を置いていかなかったせいで、この子は泣いてたのよ!」
私は腹の中で「俺は一生懸命働いている」と思いながらも、寝顔の息子にはそっと詫びた。
「ごめんな。いつかお前が大きくなったら、一緒に旅をしよう。男同士、きっと楽しいぞ。」
——ところが、小学一年生になった息子は、ある日、天使になった。
入学式から、まだ一か月しか経っていなかった。
交通事故だった。
彼は六歳。私は三十四歳の五月のことである。
あまりに突然の別れだった。
しばらくは、時間の感覚さえ失われていたように思う。何かをしようにも、何をすべきかがわからなかった。ただ、ぽっかりと空いた時間の中で、私は少しずつ彼との思い出を辿るようになった。
ある日、息子の部屋を整理していたときのこと。
あのときの、バザーの食券が出てきた。
皺だらけになった小さな紙を手に取った瞬間、こらえていたものが一気にあふれた。
私はそれを握りしめて泣いた。
チケットは破れ、手には血がにじんだ。
「いつか」ほど、あいまいで、不確定で、いい加減な言葉はない。
私たちは「今」を生きている。
それから二年後、私は三十六歳で起業した。
そのとき、自分に二つのことを誓った。
ひとつは、「今できることは、今やる」こと。
もうひとつは、「年齢かける一万円の月給を払い続ける、終身雇用の会社をつくる」こと。
一つ目は、できるだけ実践している。
二つ目は、「いつか」実現するために、今できることを必死でやっている。
人は未来の約束を、つい軽く扱ってしまう。
だが本当は、未来に願いを込めるためにも、「今」を丁寧に生きるしかないのだと思う。
あの日、渡せなかった食券。
その一枚が、私に多くのことを教えてくれた。
今、この瞬間に、誰かに何かを伝えること。
今しかできないことを、先送りにしないこと。
それが、小さくても確かな、一歩になるのではないか。
そんなことを、いつも思うのである。




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