伝えるという迷路
わかった?
わからない?
わかったならわかったといってよ。
わからないならわからないといわなければ、わかったかわからないかわからないじゃないの。
わかった?
そんな早口言葉がある。
まるで私たちのコミュニケーションの難しさを、ユーモラスに突いているようだ。
日本人は“察する文化”を美徳としてきた。
だが実際のところ、「察してほしい」と「伝えたい」は、いつもすれ違いの狭間にある。
それは恋愛でも仕事でも、Facebookのコメント欄でも変わらない。
日々の雑感をFacebookに綴っている。
ちょっとした気づきや出来事を書くだけなのだが、思いがけず反応をいただくことがある。
中には「ぜひ会いたい」と連絡をくださる方もいて、この方は本州からわざわざ札幌まで会いに来てくれた。
……驚き桃の木である。
せっかくのご縁。
おもてなしをしなければと、当日はレンタカーを用意し、送迎に走った。
朝から二人の経営者や友人を紹介し、昼食はホテルの高層階で和食を。
午後は三つの会社を案内し、社長同士での会話も盛り上がった。
「伝える」ことを通じて、新しい“つながり”が生まれた日だった。
そんな中、先日ある経営者交流会で知り合ったばかりの社長からメールが届いた。
「紹介してよ!紹介するって言ったでしょ!」
……確かに、そう言った。
だが、その言葉は足りていたのだろうか。
私の中では「時が来たら紹介しますね」というニュアンス。
しかし相手にとっては「今すぐ!」という意味だったらしい。
言葉の温度差。
これが人間関係の摩擦熱を生む。
短気な私には少しストレスでもあるが、同時に「自分の伝え方」を省みるきっかけにもなる。
「何かしてもらったら返す」
「返してもらえないとモヤモヤする」
そんな感情は誰の中にもある。
しかしそれが強すぎると、人間関係は氷のように冷たくなる。
昔「連想ゲーム」というテレビ番組があった。
言葉をつないでいくうちに、いつの間にか全く違う答えにたどり着く。
「伝言ゲーム」も同じだ。
人を介すほど、意味は変形していく。
行動には行動の意味があり、言葉には言葉の自由がある。
だからこそ、どこで誰に、何をどう伝えるかが問われる。
そしてその「ズレ」こそが、実は人間の深みをつくっているのかもしれない。
思えば、誤解された経験のない人などいない。
それでも誰かに伝えたいと思うのは、心のどこかで「わかり合いたい」という願いがあるからだ。
言葉足らずも、行き過ぎた気遣いも、すべて人間らしさの証だ。
だから、伝えることを恐れず、受け取ることに寛容でありたい。
たとえ噛み合わなくても、笑いながら「まあ、そんなこともある」と言える関係がいい。
今日もまた、誰かに伝えようと思う。
少し不器用な言葉でもいい。
その一言が、誰かの心に灯をともすかもしれないのだから。




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