父と息子の月命日は7日だ。
父は2016.12.7 息子は1997.5.7
毎朝
仏壇に線香をあげ
手を合わせる。
写真になった二人は
私をどう見ているのだろうか?
父は「一事が万事だ」と
いい加減なことばかりする
私をたしなめている気がする。
息子は
「おとうさん、元気出せよ!」と
落ち込む私を
勇気づけてくれるようだ。
強気の時は
あまり二人の声は聞こえてこない。
しかし 弱気になっているときは いろんな声が聞こえる。
その声は頭の中の記憶で
生成されて心におりてくる。
父からかけられた
50年間の言葉は
すべて感謝と愛情の
オブラートにくるまれて
やさしく心を潤してくれる。
息子の愛らしい口元から
発せられた6年間の声は
思い出そうとするたびに
心をかき乱し
目まで潤してくれる。
だが叶うなら
いくらでも聞いていたい。
先日
土石流で家族の安否を
心配するニュースを観たせいか
朝から湿っぽい話に
なってしまった。
人は 「生」をとおして
記憶を刻み
人の 「死」をとおして
記憶に刻まれる。
アメリカの作家 マーク・トゥエインの言葉
「人生には2つ大切な日がある 1つは この世に生を受けた日
もう一つは 生まれた意味を知った日」
私は生まれた意味を いまだ知るには至っていない。
いずれ訪れる「生」の終焉までに
その意味を知りたいと思う。
それをとおして
人の記憶に刻まれても
恥じない自分でいたいものだ。
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