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仕事こそ、人生の楽しみ!
Colorkrewが考えるバリフラット経営とは

髙橋明美(以下髙橋):本日のゲストは株式会社Colorkrew(「カラクル」と発音)、代表取締役、中村圭志(なかむらけいじ)様でございます。そしてNCU合同会社CEOで経営者育成研究会代表の芳永尚、私は進行の髙橋です。どうぞよろしくお願いいたします。

本日は「仕事こそ、人生最高の楽しみ! Colorkrewが考えるバリフラット経営とは」こちらをテーマにお話を伺います。まず、中村社長のかんたんなご紹介をさせていただきます。
中村社長は千葉大学工学部をご卒業後、豊田通商株式会社で営業、ヨーロッパ駐在を経て2010年、株式会社Colowkrewの代表になられました。国際色豊かなお話が飛び交うかもしれませんね。それではここからは芳永代表、お願いいたします。

芳永尚(以下芳永):中村社長に来ていただけるなんて、経営者育成研究会……がんばってるなぁと。自画自賛ですが(笑)。中村社長のご経歴をもう少し詳しくお聞かせいただけますでしょうか。

中村圭志(以下中村):はい。理系の大学を卒業し、文系就職をしました。先ほどご紹介いただいた豊田通商(株式会社)という会社で、トヨタ自動車グループの商社です。
最初、日本で営業をやりまして、30代でヨーロッパ赴任となりドイツに駐在しました。帰国して2010年に豊田通商が買ったITの会社(現在のColorkrew)に代表として送り込まれ、2019年にMBO的なことをいたしまして現在に至っております。
ヨーロッパに赴任したのは33歳のときです。豊田通商ヨーロッパの一部門に属していたのですが、その部門はオペレーションがけっこう専門的で、独立した方がやりやすいだろうという話になり、赴任して2年後に100%子会社ではありますが分社化しました。そこで初めて、代表として4年半経営を行う立場を経験しました。そのヨーロッパの会社は20〜25名ほどの小さな部門をスピンアウトさせたものでした。その後、日本に帰国。Colorkrewへ出向になりました。社員170人とヨーロッパ時代と比べてだいぶ大きな規模の組織で、業績もあまり良くない状況でした。当初のミッションは、事業再生・企業再生で、自分にとって大きな挑戦の場となりました。

芳永:会社経営の第一段階として社員数20人〜30人のハードルがあるとよく言われますよね。そこは一度ヨーロッパでご経験されたとはいいながらも、次にいきなり百数十人の会社のトップに立ったときの気持ちってどんなでしょう。

中村:ヨーロッパに赴任したときもそうだったのですが、周りが私に対して非常に懐疑的であった、ということですね。このような場合、最初は、仕事をさせてもらえない状況が続きます。周囲の人に認められて徐々に中に入っていくプロセスが難しい。僕は原体験として小学校の時に2回転校しているのですが、転校して新しいクラスに入ったときと似ているなと思いました。仲のいい社員なはいませんし、初日の昼食から誰にも声をかけてもらえず、やることもなく、誰かと話すために、止めていたタバコを吸い始めました。喫煙室へ雑談しに行く、みたいな感じですね。
ちなみに、最初の転校のときに、いじめに遭いました。その時は、ガキ大将みたいなのが一人いて、僕のことが気に入らなかったらしく、色々嫌がらせをされました。周りも助けてくれる人はいませんでしたが、しばらくすると僕にも仲の良い友だちができてきました。彼らが「やられっぱなしだから調子に乗るんだよ」「ガツンといけよ」と言ってくれて、やられたらやり返す、という風にしたら「こいつヤバいな」と思われたのか、それ以降いじめられなくなったんですね(笑)。
ヨーロッパ赴任したときは、まずヨーロッパでの仕事が初めてですし、業界のことも詳しくないし、小柄なアジア人で、英語も下手。という四重苦みたいな状態でした。仕事の実力で黙らせるということもできない。そこで僕が撮った手段は、仕事終わった後にひとり一人捕まえて「おまえ、こないだのミーティングの最中に、こんなこと言って俺のことバカにしただろ、謝れ」というのをみんなにやりまして・・・・最終的にはバカにしていた人が全員すまなかったと謝るまでやりました。
「コイツ危ないヤツだ」と思われたのでしょうか。それ以降バカにされなくなったというのが僕のヨーロッパでのスタートです。帰国後のColorkrewでは、日本語が通じる分、コミュニケーション的には楽ではありました。ただIT業界は初めてだったので、いきなり自分が主導して成果を出すことは難しい。たくさんの人と話して、徐々に理解してくれる仲間を増やしていった、という感じでした。

芳永:そういうご苦労があったんですね。では次に、そこからバリフラット経営にという流れをうかがってもよろしいですか。

中村:はい。当時のColorkrewは、もともと中小企業の割にはヒエラルキーといいますか、階層がたくさんあり、マネージャーのタイトルを持った人が全体の3分の1いるという、オーバーヘッドが大きい会社でした。
それによって本来ある力が発揮できずにいて、会社も3年以上ずっと赤字で、親会社からの借金もどんどん増えていく状況でした。組織効率が悪かったので「これはもう全員野球だ!」と。とにかくマネージャーでございみたいな人は要らないと、僕も含めみんながプレーヤーで、マーケットに出てとにかく「全員で戦う」というやり方に変えました。
僕の方針が嫌だった人は辞めていきました。徐々に組織をフラット化していき、役職者も減っていきました。2.3年で、部長が何人かいて、あとはみんな担当者というような、ほぼフラットな組織になりました。そういう状態になったころのある日、部長の一人が「もう部長職もいらないんじゃないか?」と言い出したんです。その10日後に、マネージャーレスの組織ってどうやったら実現できるんだろうというテーマで合宿、その後10日で、マネージャーと部署を全廃しました。

芳永:それは凄まじいですね。

中村:とはいえ、プロジェクトにはリーダーが存在します。ただ、それはいつも固定された役職ではありません。例えば、Aプロジェクトでリーダーやっている人が、Bプロジェクトではメンバーであるというような運用です。役割を固定化させないというのと、部署間の壁をなくす、というのがバリフラット化の大きな2つの目標でした。

芳永:そんなに大鉈(おおなた)振るってうまくいくものなのでしょうか。

中村:大鉈という意味では、僕が2010年にこの会社に来たその翌年に人事制度を根本から変更したときの方がインパクトはあったと思います。当時は人事制度と呼べるようなものがなく、スタートアップでよくある全員と個別契約みたいな形で給料も決めていました。その結果どうなっていたかというと、たとえばですが、営業のエースより経理のアシスタントの方が給料を多くもらっているというような、ちょっとわけがわかならいような状態も生まれていました。それを解消したのが新人事制度でした。
また、当時は僕に情報が届かない。聞けば教えてはくれるのですが、放っておくと情報は入ってこないんです。そんな中で、なんとか情報を集め、経営的な判断で7つあった事業のうち、3つを止め、残った4つに絞ってひとつずつ黒字化していきました。同時にヒエラルキーをなくして部署間の壁も取り外して、異動も必要なら「はい、明日から」というふうに進めていきました。そのスピード感に対しては「中村はなんであんなに乱暴なんだ」思った社員も多くいたと思います。

芳永:でもね、中村社長。それってものすごくメンタルが強くなければできないと私は思うんです。だって何年も赤字だったわけじゃないですか。これを一身に背負って、かつ、仲間もいない、体制もガラッと変え、推進する中でさらに変更する。そのメンタルの源泉っていったいなんだったのでしょう。

中村:やっぱり「なんか間違っているよね。ちゃんとやっていかないとね」と思うことですかね。そういうのが多かったんですよ。そのうちのひとつが、みんながその事業に対して自ら担当として働こうとしない、官僚的になっている、マネージャーが多すぎるというのと、情報がオープンになっていないから勝手なことをするんです。当時の偉い人たちの交際費とか「えーっ!! そんなに?」と驚くようなことも多かった。現在の当社全体の交際費は当時の役員一人の交際費の半分以下です。
モラルハザードっぽいことも起こりますし、人事も好き嫌いのジャッジで行われるし。とにかくだんだんと時間をかけて情報をオープンにしていく。しまにいは給与の評価内容も全部オープンにしてしました。この、時間をかけて情報をオープンにしていくというが肝でしたね。社内SNSを活用して「僕はこんなふうに考えていますよ」と発信しつつ、きちんと話しておかなきゃと思う人には、偶然を装ってエレベーターなんかで鉢合わせしたりとかして「あれ、奇遇。じゃあちょっと飲み行っちゃう?」みたいにして話しするとか。どちらかというと泥臭いやり方ですが。まあ、さっき言った喫煙室での会話もそうですが、コミュニケーションをとるために手段を選ばずいろいろなことをやりました(笑)。

芳永:このお話を聞いて、うちの会社を立て直してくれないか、というオファーが来るかもしれませんね(笑)。
さて、そんな中村社長から次世代の経営者に向けて何かひと言いただけますか?

中村:最近、何人か20代の学生起業家の方にお会いしたのですが、彼らすごいんですよ。ビジネスももちろんですが、人としての奢りもまったくなくて、20代でどうしてこんなに立派になっちゃったんだろうって。まあ、そういう人だからこそ成功しているのだろうと思うわけで僕から言うことはあまりないのですが、やはり事業を軸にして育っていく会社はある程度大きくなると組織運営に行き詰まるということがありがちなので、組織運営の勉強は座学も含めてやっておくといいんじゃないかなと思います。僕は自分が経営に携わるようになるかなり前から経営関連本を読むのが好きでした。特にジャック・ウェルチが好きだった影響もあり、僕の経営にはジャック・ウェルチから学んだ要素がたくさん入っています。そのほかもカルロス・ゴーンや、グーグル、日本の経営者からも多くを学びました。過去の偉人たちがやってきたことのなかに、今の僕たちが経営に活かせるヒントが必ずあると思っています。

芳永:ありがとうございます。

髙橋:さあ、ここからはフリートークということで進めさせていただこうと思いますが、現在の会社Colorkrewですが、社員の4分の1が外国人とお聞きしているのですが。

中村:はい。現在、正社員80名で、国籍は日本を含めて16か国です。国はバラバラで、北米、南米、ヨーロッパ数か国、アジアも数か国、ロシア、いないのはアフリカと中東くらいでしょうか。共通言語として英語を使っていますので、もちろん日本人同士は日本語で会話しますが、ミーティングを実施する際に一人でも英語を使うメンバーがいればそのミーティングは英語で行なう、といったルールになっています。

髙橋:では、英語が話せることが必須なんですね。

中村:そうですね。以前からいる社員のなかにはその辺苦労された人もいますが、でも、英語ができればお給料にも反映しますし。そういった制度もバリフラット化とともに推進してきましたので、グローバルに活動している大手に近いくらい英語は厳しいかもしれません。

芳永:新卒の入社希望者には、そういった変わったところなども響いているかもしれませんね。

中村:はい。変わった人が入ってきます(笑)。
例えば、去年の新卒に常にキャップを被って、夏はいつもサンダル履いている社員がいます。一応社会人としてのTPOも教えなくてはいけないので「客先に行くときはその格好はやめた方がいいよ」というようなことは言いますけれど。Colorkrewは、夏は基本的に短パン率がすごく高いんですよ、IT企業は、押し並べてそうかもしれませんが。親会社が豊田通商だったときは「明日からスーツで来い!」と上司に怒られたもしました。まあ、新卒で毎日キャップにサンダルは確かにすごいですが……。その彼がColorkrewに入って書いた入社しての感想のブログが「変な会社です」って(笑)。思わず「お前に言われたくないわ!」と思いました。そんな変わった若者ではありますが、仕事に関してはものすごく優秀です。服装と仕事はあまり関係ないですね。
現在、新しく入社する人の7割以上は外国人です。特に意識的に外国だけを雇用しようとしているわけではありませんが、特にエンジニア職はコーディングテストがあったりいくつものインタビューを経て最終面接となると、どうしても日本人が最終面接に残らないんです。
今のご時世でわざわざ日本で働こうなんて外国人は「アタマ大丈夫?」と疑問に思いますよね。こんな右肩下がりだし給料も安いし、例えばアメリカ行ったら倍の給料は稼げるのに。だから「なぜ」とインタビューで聞くんです。「どうして? 正気? どうして日本なの?」と。
ここに相当強い理由がないと入社させません。経済的な理由やキャリア的な理由だけならすぐに辞めちゃいますよ。欧米に行った方が絶対いいんですから。一方で、経済的にはそんな状況でも、純粋に日本が好きで、日本に住んで働きたいという強い動機を持ったニッチな人がいるんです。日本で働きたいとなったときに、人間関係もフラットで、日本的な組織の難しさがなく、海外から来る人も入って来やすいColorkrewを選ぶという感じになっていると思います。

髙橋:なるほど、納得です。それでは最後にColorkrewの今後の展開としてどのようにお考えなのかお聞かせください。

中村:まだまだ国内の事業が多いのですが、社員の多様性を活かして海外展開していくってのがいちばんやりたいことですね。そのためには事業自体を強いものにしていくとう軸と、海外で横にマーケットを広げていくという両方をやって、まあ大きなことを言いますと、日本のIT企業で世界に通用しているところってほとんどないので、グローバルなチームでグローバルに成功している初めての日本のIT企業になりたい、というのが僕らの目標です。現在は、日本にいた頃うちで働いてくれていたブラジル人が、ブラジルに帰国する際に、Colorkrewの事業をブラジルでやりたいといってくれまして、ブラジルでプロダクトの販売を行っています。遠いし、12時間も時差もあるのでで大変ではあります。(笑)。
 
そういった、人の縁を起点にしてやっていけたらいいかなと思っています。能力密度を上げるために世界からタレントを集めるというのがひとつと、自分たちが今後進出していくマーケットに対してそこのネイティブな人を抱えるという目的もあり外国人を採用している側面もあるかもしれません。

2023年5月22日収録

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