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天使との約束

1997年5月7日 私の息子は天国に旅立った。
交通事故である。
小学1年生、たった6歳の春だった。

知らせを聞いて駆け付けた病院でICUに運ばれるベッドの上の息子と対面した。

その夜医師から聞かされた話は私の淡い希望を微塵に砕いた。
「首の骨が欠けて片肺がつぶれ脳が内出血で肥大している。覚悟が必要……」

それから28日後、昏睡状態のまま、彼は天使になった。

 

その後の2年間はさまざまな思いで時を過ごした。
その話はここでは割愛しよう。

三回忌を迎えるころ私は痛烈に悟った。
息子の死を通して、自分の人生もまた限りあることを。

1999年8月17日、「有限会社ネットカンパニーゆう」を設立した。
「ゆう」は息子の名前である。

 

この会社で成し遂げたかったことが2つあった。
1つ目は総合商社かつ総合デパートをネット上に創出すること、
2つ目は年齢 × 1万円の月給と終身雇用を実現することだ。

あまいのかもしれないが「みなが仲良く共に生きること」ができる社会にしたいという思いがあった。

 

日々のニュースを見るたびに世界も日本も身近でも、いやというほど胸が痛む出来事が起こる。

なぜこんなにもこの世は不公平で不条理がまかり通るのか?

一方、そんななかにあって富も名声からも縁遠いが、すばらしい人たちがこの世にはたくさんいる。

人は生まれながらにして善か悪か? そんなことを論じる気はない。
人は誰かにとって良い人であったり悪い人であることもある。
また時間軸においても入れ替わる。
あのときは良かったのに今は違う、なんてこともある。

なぜ? どうすれば? 
私には何ができるのか? 

いったい私は何がしたいのか?

大きく世のなかを変えることなど到底できない。
そんな妄想に時間は割けない。

しかし、自分が一歩踏み出すことは70億分の1の一歩分、何かが変わったとも言えなくはない。

そして行きついた大きな目標が、先の2つを掲げた「夢の企業を実現する」ことだった。

明日の糧が確保できて、将来に不安なく死ぬまで働くことができる。
そんなコミュニティをつくりたい。
そんな仕組みがあっていいはずだ。
まさに夢のある企業ではないか。そしてそんな企業を心から創りたいと思った。

そうして36歳で立ち上げた会社だったが、数年で行き詰まり何も生み出せなかった。

一度はあきらめかけた。
できるわけがないと。

だが、2020年9月29日再び私は会社を立ち上げた。

「NCU合同会社」である。
『コロナ』がきっかけだった。まさしく世のなかが激変した。
技術革新の波が押し寄せている。

 

あらためて思う。
20歳であっても100歳まで生きるとしてたった80年しかない。
「いま人生を賭けるべき、何かのために生きずして何の人生か?」
老いも若きもうつむくことはない。

20代の若き経営者がビールケースの上に立ち「豆腐を数えるように1丁2丁と売り上げを伸ばす会社にする」

と20人足らずの社員に宣言したという話は有名だ。

できるできないは正直わからない。
でもやりたい。やってみたい。
どんなにやれてもあと10年から20年の人生。
アクセル全開で命を燃やし悔いのない時間の使い方をしてみたい。

 

息子は事故の前日にこう言った。
「おとうさん 元気出せよ!」

今でも沈んだ顔をしていたら私の耳には必ずあの声が聞こえてくる。
だからきっと成し遂げられるだろう。

なぜならこれは天使との約束だから。
 

2022年1月29日 芳永 尚

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