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150歳まで生きるが目標 この人は?

髙橋明美(以下髙橋):本日のパネラーは「Time Craft Consulting あなたの時間を創出します!」株式会社ラフティ代表取締役でいらっしゃいます奥村哲次様、そしてNCU合同会社CEOで経営者育成研究会代表の芳永尚でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

本日のテーマは「150歳まで生きるが目標 この人は?」ということでいろいろとお話をお聞きしたいと思います。まずはじめに起業されるに至るまでのお話しいただきますでしょうか?

奥村哲次(以下奥村):はい。私は滋賀県出身の現在45歳なんですが、前職でシステムエンジニアをやっていまして、30歳のとき東京支社を作るという話が出て「行きたい!」と名乗りを上げたんです。私とほか1名で東京へ行き、その後36歳まで働きました。

当時は「東京で旗を揚げる」という目標を自分に課していまして、30歳のときの人事目標に「36歳までに社長になる」と書いてそれをすごく強い気持ちで思っていました。そのさなか、34歳で末期ガンと診断されまして、もともと生き急いでいるほうだったのですが、さらに時間が足りない、やりたいことは全部やってから死のうと思うようになりました。

そこから切り替えて、既存の仕事でもバリバリ提案したり受託開発をできるようにしました。その二年間ほどのあいだに社長に直談判しまして、築地に自分の開発事務所を作らせていただき、会社との二足の草鞋を履かせていただいたんです。その間さまざまなプロダクトをリリースし、これなら自分一人でもできるんじゃないかと思い、35歳の十二月に(会社を)辞めることにしたんです。フリーランスになってからもけっこうお金になる仕事をいただくことができまして、半年くらい経ったころ税理士さんから「ちょっと稼ぎすぎだから株式会社にしてくれ」と言われ「ああ、そうですか」ということで36歳になる前に会社を立ち上げ「36歳までに社長になる」という夢を叶えたという感じですね。

髙橋:末期ガンと宣告されてそこから社長になられたわけですが、どこにその原動力といますかそういう力があったのでしょう?

芳永尚(以下芳永):ふつうそこで折れちゃう人が多いですよね。

奥村:そうですね。自分はサーフィンをしているんですが、同じくサーフィンをしている同い年のサーファーのドクターに「来るのがおせえよ!」と初診で言われまして、そのときにはすでにリンパ節に転移して3センチくらいのしこりができてしまっていたんです。「手遅れだ。入院して速攻手術だ」と宣告されたわけなんですが、それを親や会社の社長さんに伝えるのに躊躇いがありました。宣告を受け病院を出てから駐車場の車の中で2時間くらい泣きました。泣いたこともよかったんでしょうか、そこで自分がやらなければいけないことが明確になったんです。実はこの1週間前に自分がプレゼンした企画が通ったタイミングで、やらなきゃいけないしやる気満々だったということもあり、また、自分はもともと熱意・パッションが強い人間だったことで切り替えられました。それが最初の乗り越え方になるのかなあと。

髙橋:もともと生きる力の強い方なんですね。関係するかわかりませんが学生時代15件もアルバイトをされていたとか。すごくないですか(笑)。ちなみにどんな仕事だったのでしょう?

奥村:親がけっこう厳しくて高校から「お小遣いはあげないから自分で稼ぎなさい」と言われたのでそのときからアルバイトを始めたんです。

高一のときはケンタッキー(KFC)で働いたんですが、もう時効だから言えるのですが自分老け顔だったので「深夜の大学生バイトがいないから大学生として働いてくれ」と言われまして、夜8時から深夜2時まで、当時高校生にして時給1000円をいただいていました。なので月4、5万円お小遣いを持ったリッチな高校生だったんです(笑)。

ほかにお寿司屋さん、エアコン工場、パッケージ詰めなどをやってお金の大切さに目覚めました。高校を卒業してからは昼は飲茶のレストラン、夜にはそこでバーテンとして働き、さらに深夜にはプールバーで。ほかにはS急便で荷物の仕分け、パチンコ店を2店くらい。いちばん(収入が)よかったのはゴルフのキャディーさんのアルバイトでした。

ほかにはドアノブを作る工場とかまあいろいろやったんですけど、そのなかで常に心がけていたのは即戦力になること。即戦力になると時給が上がるんですね。はじめはメモを取って、誰よりも早くその仕事を覚えるんです。だからS急便での時給は1450円くらいありました。そうすると管理職レベルの仕事をさせられるんです。リーダーとか。知っていることをほかにひとに教える仕事なので体を使わずに済むようになるんです。

芳永:おお、なるほど。そのように多種多様な職種を経験されてきた奥村さんが、「関わったすべての人が笑顔になる」ことを追求し行動されている現在のお仕事について教えていただけますか?

奥村:すべての人が笑顔になる、というのは顧客の課題の本質を突き詰めるところからはじまります。まれにお客様がまちがっている場合もあるんですが、それをまちがっていますよと指摘する熱意を持って、本当にその会社を自分が経営するんだというふうに考えながらやることが、最終的にはお客様からの信頼に繋がると思いそういう仕事の仕方をしています。

髙橋:実際の事業の柱といえばどういったことになるのでしょう?

奥村:今メインはITコンサルタント業としてやっています。そのなかで受託開発も行なっています。

加えて新しい事業として私自身がサーフィンをやっていることから私自身がやりたいことの追求として、無色透明なサーフボードを作ってしまおうじゃないかと。ただ無色透明にするのではなく、世のなかにために為ることで実現できないかと考え、ペットボトルを使って完成を目指しています。

回収したペットボトルを粉状にするとAーPETという素材になるんですが、そうすることで再利用ができます。サーフボードを作るためにはそのための金型が必要で、金型にAーPETを流し熱処理して固めるんですがその際の温度によって透明度が変わるんです。それを無色透明に成形するんです。その素材だけで3ミリくらいの厚さに成形するとかなり重たくなってしまうので、ほかの素材、たとえばFRPを薄く加工したものと組み合わせたりして現行のサーフボードと同じ重量にするといった工夫が必要なんです。

髙橋:透明なサーフボードの試作品などはあるんですか?

奥村:あることはあるんですが、ちょっと重量で失敗したのでプレゼン資料の画像とかそういったものにしか使えないですね。

髙橋:そうなんですね。ペットボトルの再利用ということですが、お値段はどういう感じになるのでしょう?

奥村:材料自体はすごく安くあがります。今の金型はサンプル用なので正規の金型を作ったらそちらに素材を流し込んで成形するというスキームになるんですが、そうすると価格はグンと抑えることができるんですが、接着などの手作業が入るのでその分を含めるとふつうのサーフボードと同等か、またはちょっと高くなるかなといったところです。

芳永:なるほど。本業のITコンサルの方では現在どういったお仕事をされていらっしゃるのでしょう?

奥村:はい。今はお客様からICT技術を取り入れたいと相談をいただくのですが、それではざっくりし過ぎているので一度その会社に入らせていただき私に分析させていただき、コンサルティングを行ないさらに経営者とお話をしてどうしていきたいかを聞きながら、それにはこういったシステム設計をしていかなくていけないですよね、とご説明します。次にそれに対してスケジュール等の段取りやベンダー選定、社内でRFP(RFI)を書かなければいけないならそれを書いてコンセンサスを取ってプロジェクトを進めていく、といった流れです。

芳永:開示可能な範囲で具体的にお聞かせいただける案件はありますか

奥村:はい。輸出を生業とする大手企業・A社さんの例です。輸出の際は税関を通す必要があります。商品が100も200もあります。税関では商品情報が日本語では通らないので英語にする必要があります。商品ひとつひとつを見ると製造工程で素材がそれぞれ違っていたりするので、原材料だけではなく製造工程とかいろいろな情報はエクセルファイルで管理されているのですが、おおよそ7万語くらいを日本語から英語に翻訳しないといけないんです。翻訳して書類化してから税関を通すということになるので、僕がその変換(翻訳)のアプリを開発しました。1ファイルおよそ7万語を3秒くらいで翻訳してくれるアプリです。毎月だいたい100冊くらいのオーダーをいただいています。

芳永:すごい(笑)。


髙橋:早いですね!

奥村:早いです。翻訳の正確性についてはそのアプリにはひとつ運用スキームを入れているんですが、そのA社さんは品質管理の別会社と提携していています。そこに翻訳したものを渡すと、その会社本来の用語に修正されて返ってきます。それを元に辞書を差し替えます。それから再翻訳するんですが、ま、それも実際3秒くらいで終わりますが、そうすることでA社さんが指定する正式な用語にぴったりとはまります。こうして一部を品質管理の会社さんに委ねますが、うちの仕事としては100%の完成度になるわけです。辞書部分の情報はそうやって常に蓄積されていきますので、現在は12〜13万語貯まっています。

芳永:これはまだまだ聞きたくなりますね。ほかにもっとありませんか(笑)。

奥村:(笑)そうですね。ほかにもたくさんありますが、僕自身がプログラマーでもありますので無償でやっていることもあります。なんらかのシステムを導入する際に課題管理表のようなものを用意されると思うのですが、そのなかに管理表が更新されたタイミングでチャットに「更新されました」とメッセージが飛ぶような仕組みを納品したりしています。

髙橋:そんなすばらしいサービスも付いてくると。


奥村:まあ、そういうものはすぐに作れますので。

髙橋:そういった優れたプロダクトやシステムを作られるのはよく分かりましたが、一方で営業面はどういうふうにされているのでしょう?

奥村:営業は正直今までほとんどしていないです。奥村:おそらく口コミですね。僕はひとつひとつを大切にやっていくことを標榜しています。一社さんでも課題が部門によって複数ありますので、そこで5〜6案件くらいになったらそれ以上はお受けしていないんです。本当にお客様の業務をスリム化するのが僕の仕事なので。

奥村:時間の使い方が変わりましね。無駄な時間がないようにしています。仮に無駄だったなという時間があったとしても、次のアクションではそれが無駄じゃないように修正していくようにしています。

髙橋:すごく貪欲に生きていらっしゃるなと感じます。

奥村:貪欲に楽しむようにしています。人生楽しみながら死なないと損じゃないですか。

芳永:その楽しむ延長に本の出版もあるんですね。

奥村:はい、そうなんです。まあガンのこともあったんですが、僕自身結婚はしていますが子どもを儲けることができないということもあり、親やこの世に対して遺すものがないと考えたときに、本を一生に一冊は書き残したいと思ったんです。

これもたまたま編集者さんから声をかけていただいたこともあり書かせていただきました。内容は病気をどうやって乗り越えたのかといったことが書かれているので「乗り越え力」というタイトルで、(2022年)年内にはリリースする予定です。ほかに仕事のやり方、時間の使い方なども書いてありますので、仕事をスムーズにやりたいとか、いろいろな仕事を複数抱えていてもそれを回すことができる、できる人になる、といったことも詰まっていますので参考にしていただければ時間を作れるようになるんじゃないかと思います。

芳永:時間が足りないと感じている経営者さんはたくさんいますからね。私もぜひ参考にしたいです。

髙橋:そうですね。では次世代への提言ということでアドバイスをいただければと思います。

奥村:そうですね。僕の経験からになりますが、高校生や大学生の場合、就職ということに向き合うと思うのですが、ひとつである必要はないし現代はそういう時代でもないですよね。自分の最終的なゴールを早めに見つけられる人もいれば、見つけられない人もいますけれど、それが見つけられるように仕事を一つ一つこなしていって幅を広げていけばより豊かな人生を設計できるようになっていくと思いますので、ひとつにこだわる必要はないかなとというのが言えることかなと思います。楽しいことを追求していけばそれを仕事に変換できる力が出てくるとまた仕事が楽しくなります。僕も本を書いたりサーフボードを作ったりとその打ち合わせも遊びのように楽しくて時間もあっという間に過ぎますし。まあアグレッシブにいこうよと。

髙橋:ありがとうございます。ご興味のある方はぜひこの「乗り越え力」、ご一読いただければと思います。今日は素晴らしいお話をありがとうございました。

奥村:ありがとうございました。

2022年10月12日収録

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