2357日の命と10430の追憶
- ncu807
- 11月24日
- 読了時間: 2分
更新日:11月26日
今日、11月24日は誕生日。
生きていれば、息子は35歳になっている。
1997年5月7日、2357日でその命を閉じた。
交通事故だった。28日意識不明のまま天使になった。
以来、ランドセル姿の写真に手を合わせる日々が10430日続いている。
初めて抱いたとき、吸引分娩でとがった頭がエイリアンみたいだった。
三歳まで髪が生えず心配した。
夕方、三輪車で姿を消し、あちこち探し回った。
鼻の頭に小さな汗をのせて走り回る姿が目に浮かぶ。
風呂で「30まで数えて」と言うと、「いち、に、さんじゅう!」と元気に答えた。
バザーの日、付き添わず仕事に出てしまった。
そして、事故の前日。玄関で、ふと抱きしめた――それが最後の記憶だ。
その後、冷たくなった小さな体を抱きしめた夜は一生忘れない。
彼が生まれた日は喜びの涙だった。
しかし、別れの時は、絶叫すれど涙さえ出なかった。
あれから27年経つ。
彼は、ランドセルを背負った小学1年生の笑顔のままで、今も私の中にいる。
私は問い続けている。
果たして、私は父として彼に恥ずかしくない人生を歩めているか?
私の事業は、彼が望んだであろう社会に貢献できているか?
私は、私自身の人生に全力投球できているか?
写真の中の彼は、毎回、少し成長したように見え、私に静かに問いかけてくる。
彼は争いを嫌った。
卒園文集には、「警察官のリーダーになる」と書いていた。
勝手に思っている。
彼が目指したのは、「誰もが安んじて生きられる社会」の実現だったのではないかと。
だから私は、生きている限り、その理想を胸に歩みたい。
誰かと比べることに意味はない。
評価は相対的で、理解も視点次第だ。
誰かの痛みに完全に寄り添うことは難しい。
でも、もし望まれれば、そばにいて一緒に考えることはできる。
何もできていない気がする。
だが、息子が目指した理想が、いつも力を与えてくれる。
私は、また彼に会えるその日まで、この人生に彼の理想を刻み込み、全力で励みたい。
事故の前日、彼は言った。
「おとうさん、元気出せよ!」
最後の言葉は今も耳に残っている。




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