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  • 執筆者の写真ncu807

節目

トムとジェリーでは

頭を叩かれると

目が飛び出したりする。

まさにそんな衝撃だった。

1999年6月 私は何気なく 朝の情報番組を観ていた。

そこに登場したのが 似合わない背広の若者だ。

彼は国際フォーラムの楽屋で 北島三郎のCDを聴いていた。

三千人の聴衆を前に講演する彼は

とあるインターネット会社の

創業者 K氏だった。

彼はなんと18歳。

当時フォーブス誌の 21世紀 時代を担う 100人の経営者に選ばれた 唯一の日本人だった。

彼は14歳で入院先のベッドで パソコンに出会い 15歳で起業した。

懸命の努力の甲斐あって 退院後は事業を拡大 一目おかれる 経営者になっていた。

そんな彼は夜に コンビニエンスストアで アルバイトをしているという。

ネット決済で 触ることのない大金を 動かしている彼が コンビニにいるのは 「実態経済のお金を知るため」 だという。

目から火花が出た。

身体が熱くなった。

18歳の彼が名古屋にいる

36歳の私は北海道にいる。

当時私は 携帯電話販売会社の役員を させて頂いていた。

社長には インターネットの新規事業を 模索したいと云った。

言うたびに怒られた。

社長は私を次期後継とまで 見込んでくれて

経営者としての学びを 優先することを望んだ。

今にして思えば 社長の云うことの方が 妥当だと思う。

ただ私は満足できず 夜な夜なインターネット上で 仲間を集め バーチャルカンパニーを 作ろうとしていた。

そんな矢先に 18歳の若造が 私に火をつけたわけだ。

その夜 私は ネット上の会ったこともない 仲間にこう叫んだ

「このバーチャルカンパニーを リアルにしたい。  実際に誰がやってみないか?」

みんな賛成し 当然「お前がやれ!」 と云った。

私は翌朝 社長に辞表だして ネットで知り合った人たちに ただただ会いに行った。

札幌のコンサル会社の社長

北見のショッピングセンターの店員

横浜の主婦

岐阜のホームページビルダー

愛知の産業廃棄物処理会社役員

四国の運送会社の社長

福岡のアジリティー競技の 日本チャンピオン

そして会えなかったが

K社長の会社はドアまで行った。

京都の堀場製作所に

飛び込んだのもこの頃だ。

1999年8月17日

私の会社は大声をあげた。

2020年9月29日

今の会社が産声をあげた後も

眠って(休眠)している。

私の二人の息子(会社)たちは 時を同じくして

天に駆け登る機会を伺っている。

翼を広げ羽ばたくのは 今日かもしれない。


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