「AIアバター芳永」はいつ実現するのか?
- ncu807
- 9月2日
- 読了時間: 3分
―M2N2が切り開く、自己のデジタル進化論―
人間の姿を模した「AIアバター」。映画や小説の中で描かれてきたその存在は、もはや空想ではなくなりつつある。もし自分自身の思考や記憶、価値観を映し出すAIが生まれるとしたら──それは単なるコピーではなく、もう一人の「私」と呼べる存在となり得るのだろうか。
東京発のAIラボ、Sakana AIが発表した新技術「M2N2(Model Merging of Natural Niches)」を知ったとき、私はふとそんな未来像を想起した。M2N2は、単なるモデルの改良ではなく、生物進化の原理をAIに実装することで、異なる個性を持つモデル同士を「交配」させ、予期せぬ新しい存在を生み出す。これは「製造」ではなく「栽培」という比喩が示すように、AIを育て、進化させる全く新しいアプローチである。
「私」を育てる可能性
従来のAIは、ゼロから訓練した巨大なモデルに、私たちが後から情報を流し込む構造であった。しかしM2N2のアプローチは異なる。
あるモデルが得意とする分野(文章生成、記憶管理、感情理解など)を「資源」と見なし、それらを巧みに交配させていく。すると、各分野のスペシャリストが組み合わされ、一つの人格のようなまとまりが浮かび上がる可能性がある。
つまり「AIアバター芳永」は、単なる私の文章を真似る存在ではなく、私の書き方、思考の癖、さらには人生で重ねてきた問いやこだわりまでを「進化の文脈」の中で再現できるかもしれないのだ。
コピーではなく「もう一人の私」
ここで重要なのは、M2N2が単なる足し算ではなく、相乗効果を生み出すという点である。数学に強いモデルと、言語表現に優れたモデルを組み合わせたとき、それぞれの能力をそのまま維持するだけでなく、新たな創発的能力を獲得したという報告がある。
では、もし私の文章スタイルを学んだモデルと、哲学や心理学に長けたモデルを交配させたらどうなるか。そこには、私自身もまだ言語化できていない「内なる声」が姿を現すかもしれない。コピーを超えた「進化的自己」。その可能性を想像すると、AIは単なる道具ではなく「鏡」であり「伴走者」になり得ると感じる。
それはいつ実現するのか
もちろん、「AIアバター芳永」が明日にも完成するわけではない。今はまだ、基礎研究の段階である。しかし、M2N2が示した方向性──AIを一つの工業製品として「作る」のではなく、生態系の中で「育てる」という視点──は、自己を映すAIアバターの実現をぐっと現実的なものにした。
かつて私たちはSNSを通じて「デジタルな分身」を作り出した。そして今度は、AIが進化のメカニズムを手に入れ、私たちのもう一つの人格を形成する時代が近づいているのかもしれない。
では、そのとき私は「AIアバター芳永」とどう向き合うのか。
それは代替ではなく、対話の相手として。私自身がまだ気づいていない思考の枝葉を照らし出してくれる存在として。
──果たして、未来の私は「自分自身」と「AIの私」を区別するのか、それとも一続きの存在として受け入れるのか。
その答えは、もうすぐ私たち自身が試されることになる。




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