やると決めたらやる
- ncu807
- 2025年12月28日
- 読了時間: 2分
人生でも、経営でも、最後にものを言うのは才能ではない。情報量でも、人脈でも、肩書でもない。残るのはただ一つ、「やると決めたことを、やり切ったかどうか」である。
多くの人は「決断の瞬間」を美しく語る。だが本当に価値があるのは、決めた後の時間である。
誰にも評価されない日常。結果が出ない期間。誰にも見られていない、静かな反復。その時間をどう扱ったかが、後になってすべてを分ける。
私はこの4年間、週におよそ40件、累計で8,000件を超えるオンライン面談を続けてきた。これは努力を誇る話ではない。ただ「やると決めたことを止めなかった」という事実があるだけである。
経営者育成研究会の歩みも、最初はたった一件の紹介から始まった。風が吹けば消えそうな、小さな灯火にすぎなかった。それでも今日があるのは、多くの対話と4,000件を超えるマッチングという実践を、地味に、愚直に積み重ねてきたからにほかならない。
派手な打ち手はない。近道もなかった。ただ人と向き合い、話を聞き、繋ぎ、また次に進む。その繰り返しだけが、現実を少しずつ動かしてきた。
やると決めたにもかかわらず、「忙しくなった」「環境が変わった」「思ったより大変だった」「周囲が否定的だった」そうした理由はいくらでも見つかる。だが、それらはやらない理由にはならない。やると決めた瞬間に、すでに織り込み済みであるべき事柄だからである。
途中でやめるという行為は、失敗を恐れることではない。成功に至る確率そのものを、自ら放棄する行為である。
経営をしていれば、判断を誤ることもある。遠回りになることもある。後から見れば失敗だったと分かる選択もある。それでも一度決めたなら、最低限、自分が納得できるところまでやるべきである。
途中で投げた決断は、次の決断の重さまで奪っていく。自分との約束を破り続けた人間は、やがて自分の判断そのものを信じられなくなる。
「やると決めたらやる」。これは精神論ではない。自分自身との契約を守り続ける、極めて合理的な行為である。
私が2028年11月23日に代表を退くと決めたのも、このコミュニティを「個人のもの」から、自律的に循環し続ける「公器」へと移行させるための契約である。終わりを定めるからこそ、今なすべきことの輪郭は、より鮮明になる。
今日もまた決断の場面は訪れる。大きくなくていい。派手でなくていい。ただ一つ、やると決めたなら、やることだ。
それだけで、人生は確実に前に進む。運命は、やり続ける者にしか微笑まない。




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