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予定調和を壊す

  • 執筆者の写真: ncu807
    ncu807
  • 2025年12月25日
  • 読了時間: 2分

人は、物事が思いどおりに進まないとき、反射的に苛立ちを覚えるものである。それは「こうなるはずだ」「こうあるべきだ」という無意識の前提を、世界に押し付けているからに他ならない。しかし人生を振り返ったとき、強く記憶に残っている場面は、たいてい予定が狂った瞬間ではないだろうか。

たとえば、朝の通勤途中。いつも乗る電車が人身事故で止まり、仕方なく遠回りのバスに乗る。最初は舌打ちしたくなるが、窓の外に目を向けると、普段は通らない商店街が広がっている。開店準備をする店主の姿、登校途中の子どもたちの笑い声。遅刻という結果は変わらないが、その朝の空気だけは、なぜかいつもより濃く記憶に残る。予定調和が壊れたことで、世界の解像度が一段上がったのである。

もし人生がすべて設計図どおりに進むとしたら、それは効率的ではあっても、どこか味気ない。驚きも葛藤もなく、感情が揺さぶられる余地がない。完璧な段取りは安心を与える一方で、思考の芽を摘んでしまう。思いどおりにならない出来事が起きるからこそ、人は立ち止まり、考え、別の選択肢を探し始めるのである。

壁にぶつかるという体験は、短期的には不快で避けたいものだ。しかしその壁は、行き止まりではない。これまでとは異なる視点へと、無理やり視線を向けさせるための装置である。仕事で失敗したとき、対人関係がこじれたとき、あるいは日常の些細なつまずき。その瞬間には必ず「このままでいいのか」という問いが生まれる。その問いこそが、人を次の段階へ押し出す原動力となる。

人生を単なる出来事の連続ではなく、「物語」として生きられるかどうかは、この問いをどう扱うかにかかっている。予定外の出来事をノイズとして排除するのか、それとも展開の転換点として引き受けるのか。同じ事実でも、その選択によって意味はまったく異なるものになる。

思いどおりにならない状況を嘆く必要はない。それは、新しい章が始まる合図である。摩擦やズレがあるからこそ、人生には熱が生まれ、深みが加わる。昨日まで怖かった一歩が、いつの間にか当たり前になっている。その積み重ねが、自分自身の物語を豊かにしていく。

不確実さを拒むのではなく、引き受ける。予定調和を壊す勇気を持つ。その姿勢こそが、人生を面白くする技術なのである。


 
 
 

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