今日の小さな嘆き
- ncu807
- 9月27日
- 読了時間: 2分
悲しいことに、私は友達が少ない。
Facebook上では約5千人の「友達」がいることになっているが、実際には、そう多くはない。
高校・大学の友人は何人残っているだろうか?
リコー、ドコモショップ、そして初めての起業。あの頃一緒に仕事をし、時間を過ごした方々とも、今なお連絡を取り合っているのは一握りである。5年以上にわたり親しく関係が続いている人となると、数えて戸惑うほどはいない。
若い頃、冗談のように「一度会ったら友達だ!」と言っていた時期がある。
もちろん、それは自分だけの勝手な思い込みにすぎない。相手にその気がなければ、友情は成立しないというのは当たり前のことだ。
では、自分にとって「友達」とは何か。
そう問うたとき、二つの基準が思い浮かぶ。
一つは、その人とこれからも「同じ空気を、同じ場で吸いたい」と思えるかどうか。
もう一つは、その人が困った顔をしていたとき、損得を超えて「その笑顔を取り戻すために動けるか」どうか、だ。
この二点が心に浮かぶ人は、私にとって友人と呼べる存在である。
逆に言えば、それ以外は、どれだけ長く付き合いがあっても、どこかで線を引かざるを得ないのかもしれない。
ある研究によれば、人が一生のうちに出会う人数はおよそ3万人だという。
このうち、「親しい会話ができる人」は300人程度、「友人」と呼べる人は30人、そして「親友」は3人程度と言われている。
その数字が正しいかどうかはともかく、納得感はある。
その点においては少し優越感に浸れる。
SNSが普及した現代は、出会いの数もスピードも飛躍的に増えた。
しかし、「知っている人」と「心を通わせる人」の間には、想像以上の距離がある。
繋がっているはずなのに孤独を感じることは、誰にでもあるのではないだろうか。
昔テレビCMで、小学校1年生の子どもたちが「友達100人できるかな」と歌っているのを耳にした。
懐かしさと同時に、胸がきゅっとなる。
いつからだろう。100人どころか、「1人」の重みを強く感じるようになったのは。
私は今、還暦を過ぎたところである。
65歳までには、「友達100人」とまではいかなくとも、自分の基準で「この人とはこれからも一緒に空気を吸いたい」と思える友人を、もう少し増やせたらいいなと思っている。
名刺の数でもなく、SNSの繋がりの多さでもなく。
損得ではなく、「困っていたら動ける」関係性。
そんなつながりが、あと何人分、人生の中に増えていくだろうか。
果たしてそれは、難しいことなのだろうか?
それとも、思っているよりも、すぐそばにあるのだろうか?




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