北海道から、もう一度経済を描きなおす
- ncu807
- 11月10日
- 読了時間: 2分
私は北海道民である。
この地で生まれ、この空気を吸いながら暮らしてきた。
冬の厳しさも、春の遅さも、すべてが身体に染みついている。
だからこそ、時折思うのだ。
なぜ、これほど豊かな土地に生きながら、経済はこんなにも脆いのかと。
土地は広く、水も食も豊かだ。
それでも若者は減り、企業は疲弊し、町は静かになっていく。
この現象を「人口減少」で片づけるのは簡単だが、本質はもっと深いところにある。
それは、私たちがいつの間にか“中央の地図”の上で生きることに慣れてしまったということだ。
国が方針を示し、補助金が流れ、地方は「実行する側」に回る。
その構造の中で、北海道は“自らの意思”で経済を描く力を失ってきた。
豊かさを持ちながら、使いこなせない。
それが、この地の痛みである。
だが私は、ここにこそ可能性があると思っている。
もし北海道が、中央の延長ではなく、独立した経済圏として立ち上がるとしたらどうだろう。
エネルギーも食料も自給できる土地。
テクノロジーを活かせば、教育も仕事もここで完結できる。
地域単位で通貨や信用スコアを発行し、行政よりも先に、民間が「地域経営体」として自治を担う。
補助金ではなく、投資。
消費ではなく、共創。
それが、本来の地方経済のかたちではないか。
観光も変わるべきだ。
訪れて写真を撮って終わるのではなく、外の人が地域の課題に関わり、共に働き、共に生きる。
それは「観光」ではなく、「共働」である。
北海道がそうした実験の舞台になるなら、
この地は再び“希望を試す場所”になれる。
そして教育。
学校という枠を越え、地域全体が学びの場となる社会をつくりたい。
高校生も経営者も、農家も移住者も、同じテーブルで学ぶ。
その学びが、地域の新しい仕事を生み出していく。
「教える」ではなく、「共に学ぶ」文化。
それこそが、持続する経済の根である。
私は、この地に生まれ、この地に生きている。
だからこそ、もう一度問い直したい。
私たちは、いつまで“誰かの地方”として存在し続けるのか。
そろそろ、「私たちの北海道」を、自らの手で描き直すときではないか。




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