叱られているか?
- ncu807
- 10月27日
- 読了時間: 3分
あなたは、最近、叱られたことがあるだろうか。
年齢を重ね、役職が上がるにつれ、叱られる機会は減っていく。
特に経営者ともなると、その傾向は顕著だ。
誰も、社長を「叱る」ことはしない。いや、もしかすると「できない」のかもしれない。
だが、そこで一度、立ち止まって考えてみてほしい。
果たして、それは健全な状態だろうか。
耳に心地よい言葉ばかりが届く日々。
意見のない会議。
都合のよい報告だけが上がってくる組織。
それは、知らず知らずのうちに、経営者の視野を狭めていく。
経営者が自らの成長を止めてしまうとき──
それは「誰にも叱られなくなった」とき、である。
「叱る人」がいない世界は危い。
そもそも、「叱る」という行為にはリスクがある。相手との関係を壊すかもしれないし、誤解を生む可能性もある。
だからこそ、部下や周囲の人間が、社長に対して真正面から意見をぶつけることは少なくなる。
だが、社長も人間である。盲点があり、過ちもある。
そして何より、学び続けなければ、組織は静かに停滞していく。
「孤独」は経営者の宿命かもしれないが、
「孤立」は明確なリスクである。
情報が遮断され、批判や建設的な声が届かなくなったとき、人は気づかぬうちに、裸の王様になってしまう。
成功体験に執着し、市場の変化や社内の小さな亀裂にも気づけなくなる。
では、どうすればよいのか。
自分に意見してくれる人を、自ら探しに行くこと。経営者には、その覚悟が求められている。
かつての私も、「叱られない」という状態に、どこか安堵を覚えていた。
だがそれは、成長の停滞そのものだった。
「このままでいいのか?」という内なる問いが、私を動かした。
私は意識的に、耳の痛いことを言ってくれる人との対話を増やしていった。
相手は、古くからの友人、経営者仲間、異業種のメンターなど様々である。
中でも重視したのは、忖度のない関係性だ。
役職や利害を超えて、「私の盲点」を照らしてくれる存在。
あるとき、一回り年下の経営者にこう言われた。
「芳永さん、その熱意は伝わります。でも、その計画では現場がもたないですよ。
現場の声が、届いていないのではないですか?」
鋭く、苦い言葉だった。
だが、その指摘がなければ、私は気づけなかった。
計画を根本から見直し、会員の声に耳を傾ける姿勢を取り戻した。
経営者へのフィードバックが、組織文化として根づいたときに、健やかな緊張感と、前向きなエネルギーが生まれる。
「社長に意見を言っても大丈夫だ」と感じられる空気は、社員の主体性を育み、透明性と信頼を生む。
叱られることを恐れてはいけない。
むしろ、「叱られない状態」をこそ、恐れるべきだ。
それは、組織の未来にとっても、経営者自身にとっても。
最後に、問いを投げかけたい。
あなたには、叱ってくれる人がいるだろうか?
その声に、真摯に耳を傾けているだろうか?
孤独に戦う経営者だからこそ、自らその扉を開かなければならない。
真の成長とは、耳に痛い言葉を正面から受け止め、それを糧に変える胆力を持つこと。
経営者としての成長は、「誰の声を聴いているか」にかかっているのではないだろうか。




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