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名刺がなくなったら

  • 執筆者の写真: ncu807
    ncu807
  • 9月14日
  • 読了時間: 2分

36歳で起業を決めた。

思い立ったように、まずは車でも買おうと思いディーラーへ。

選んだのは、新車のマークⅡ。

発注書にサインをして、席を立つとき——

「近いうちに起業するんです」と何気なく伝えた。

その瞬間、店長の顔がわずかに曇った。

けれど、その意味をすぐに理解することはできなかった。


翌日、ディーラーから連絡が入った。

「契約の条件を変更させてほしい」と。

分割ではなく、一括での支払いを求められた。

信用が足りない、ということだ。

腹は立ったが、その通りにしてやった。

若い頃、客先でパソコンのデータを消してしまったことがある。

指が何本か欠けたパチンコ店の社長への謝罪は、所長と部長が同行してくれて、どうにか場をおさめた。

後ろの誰かいるのといないのはやはり違う。


起業する前の肩書きは、携帯ショップの運営会社の専務取締役。

名刺を差し出せば、人によっては態度を変えた。

あの名刺には力があった。

いや、そう「思い込ませてくれる効力」があった。

だが、起業すれば、○○会社の芳永ではなくなる。

ただの「芳永」である。後ろには誰もいない。

名刺は、私がどこの誰かを説明するただの文字情報だ。


芳永という名前を見て、誰かが何かを想像するだろうか?

そんなことはない。

私が歩んできた道のりが、ようやく名刺に彩りを添えてくれるだけである。

つまり、名刺そのものには意味がない。

意味を与えるのは、自分自身の言葉と行動だけだ。


名刺が無くても生きていける。その生き方にあこがれたりもする。

一度積み上げた信用は、簡単には手放せない。

築くには時間がかかるが、壊れるのは一瞬である。

この一年だけでも、その事例を著名な人で嫌というほど見てきた。

自らの苦い経験と重ねながら、噛みしめている。


昨年、とある交流会に参加した。

名刺交換した相手は20名ほど。

声をあげて喜んでくれる人もいれば、名刺を見て、少ない会話で目をそらす人もいた。

名刺とは、まるで小さな通信簿のようだと思った。

自分で「オール5」と思い込んでいても、他人から見れば「平均3」かもしれない。


名刺がなくなったあの日、私はようやく「自分の肩書き」を取り戻した。

それは、誰かがくれたものではなく、自分で作り上げるもの。

「何をしてきたか」よりも、「何をこれから語るか」によって育っていくものだ。


今日も私は自分を積み上げていきたい。


名刺を用意しなくても知ってもらいたい人に知ってもらえる自分を目指したいものだ。

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