哲学者かつ変革者たれ
- ncu807
- 9月22日
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子供に「なぜ?」「どうして?」と矢継ぎ早に問われ、十回すべてに誠実に答えられる大人は、どれほどいるだろうか。
生きる意味、歴史解釈、社会の在り方。そうした根本的な問いに真正面から向き合えるのは、ごく限られた人々――哲学者や政治家、あるいはその問いを自らの仕事として抱え込んだ人たちくらいかもしれない。
私たちの多くは、日々の生活に直結しない難題を、どこかで意識的に避けている。
家計や仕事、人間関係といった「目の前のこと」を処理するだけで精一杯であり、哲学的な思索や歴史観に心を割く余裕はなかなか持てない。私も例外ではない。四六時中そんなことを考えていたら、気が滅入ってしまうからだ。
しかし――子供の問いかけは、ときに大人の盲点を突いてくる。
「なぜ勉強しなければならないの?」「どうして戦争はなくならないの?」「なぜお金が必要なの?」
その素朴な疑問のひとつひとつが、私たちの社会を支える前提を揺さぶってくる。
答えを曖昧にごまかすことはできても、本当の意味で納得させられる説明を持っている大人は、決して多くはないだろう。
では、経営者はどうだろうか。
経営とは、単に利益を上げることではない。組織を導き、人を育て、社会に何らかの価値を届ける営みである以上、その基盤には必ず「なぜこの事業をやるのか」「どういう未来を描きたいのか」という根源的な問いが横たわっている。
つまり、経営者は問われ続ける存在である。社員から、顧客から、社会から。ときには自分自身から。
ゆえに思う。
経営者こそ哲学者であるべきだ、と。
日々の意思決定の背後には、善悪や正義、幸福や自由といった抽象的な概念が必ず潜んでいる。短期的な数字に目を奪われすぎれば、やがて組織も社会も疲弊する。だからこそ、経営者自身が立ち止まり、「なぜ?」を繰り返し問う姿勢を持ち続けなければならない。
そして同時に、経営者は社会変革者でもあるべきだ。
新しい商品やサービスを世に送り出すことは、小さくても社会の形を変える試みである。人々の生活習慣を変える。価値観を揺さぶる。ひとつの会社の選択が、やがて街や産業の未来を方向づけていく。そう考えると、経営は本来きわめて公共的な営みである。
子供の問いに即答できなくても構わない。だが経営者として、自らが担う事業の問いには誠実でありたい。
「なぜこの道を選んだのか」「どういう社会を実現したいのか」
それに答えようとする姿勢こそが、哲学であり、変革への第一歩なのだろう。
あなたが経営者であれ、組織の一員であれ。
今、目の前の「なぜ?」にどう応えるだろうか?




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