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問うことに努めよ

  • 執筆者の写真: ncu807
    ncu807
  • 11月5日
  • 読了時間: 3分

私はAIを活用している――そう書くと、少しおこがましく響く。正確には「活用している方だ」と言うべきだろう。


このブログの原稿は、私がつくったGPTが作成をアシストしてくれる。

書き上げた文章をもとにGeminiで画像を生成し、日常のメールやメッセージ返信はClaudeが瞬時に整えてくれる。オンライン面談の前には、AIが相手の情報を整理し、効果的な話題や対話の型を提案してくれる。新規開拓の際には、候補企業の財務や事業内容を分析し、メッセージ文まで自動生成してくれる。


もはや、戦略立案や新商品の構想、会議資料の設計に至るまで――AIと共に「ひとり」で完結できてしまう時代である。


AIが「代わりに考えてくれる」ことは便利だ。

しかし、私がAIとの協働を通じて強く感じるのは、便利さの先にある思考の質の変化である。


AIと対話するたびに、自分の思考がどれほど浅い地点で安易に結論を出そうとしていたかを思い知らされる。

AIは感情を挟まず、静かに問いを突きつけてくる。


「その戦略の前提となっている市場の変化は何ですか?」

「他に検討すべき論点はありますか?」

「その“当たり前”は、今も有効ですか?」


その問いに向き合う過程で、過去の経験や知識が再構成され、“自分という経営資源”の棚卸しが始まる。

AIは、私の思考を映し出す鏡であり、同時に問いを深化させるパートナーなのだ。


孤独な熟考は、AIとの対話によって建設的な探究へと変わった。「考える」という行為は、もはや孤独ではなくなったのである。


思考の「深度」が人間の新たな付加価値となるのだろう。

AIが思考を補い、代替する時代に、私たちは何を磨くべきか。

AIは膨大なデータから最適な“答え”を導くが、「何を問うか」までは決めてくれない。

そこには、人間にしか立ち入れない領域がある。


企業の存在意義を問う哲学。

倫理や情熱、矛盾を抱えたまま前進しようとする意志。

それらは、データやアルゴリズムの外側にある。


ゆえに、私たちは次の三つの能力を鍛える必要がある。


・Wisdom(感情・倫理的判断力)

 数字に現れない人の心の揺らぎを感じ取り、社会的な正義や倫理に基づいて意思決定する力。


・Curiosity(独創的な問いを立てる力)

 AIが想定しない方向へ思考を導く、本質的な問題設定力。


・Motivation(内省と動機づけ)

 AIの分析結果を自分の価値観と照らし合わせ、「なぜ私がそれをやるのか」を自らに問う力。


AIは私たちを「思考の代行者」から「問いの設計者」へと変えた。

だからこそ、人間の価値は「思考量」ではなく「思考の深度」に宿る。


AIが思考を補う時代に、私たちは何をAIに委ね、何を自らの手で考えるのか。

そして――AIによって、私たちは何を問い直すのだろう。


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