喜びと痛みの配置
- ncu807
- 1月7日
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人は、喜びによって動くのか。
それとも、痛みを避けることで動いているのか。
行動原理として語られるこの二項は、あまりに分かりやすく、そして少し乱暴にも感じている。
環境が安定していた時代、喜びは十分な動機になった。
成果が積み上がり、努力が報われ、未来が延長線上にあったからだ。
しかし条件が変わり、選択の誤差がそのまま損失や停滞に直結するようになると、
人の判断は静かに「避ける構造」へと移行していく。
痛みは、感情ではなく情報として扱われ始める。
失敗の恐怖ではなく、再現性のない成功への警戒。
一時的な高揚より、取り返しのつかない歪みを残さないこと。
その結果、行動は鈍く見えるが、内部では精度が上がっている。
ここで判断を誤りやすいのは、
動いていないように見える状態を「停滞」と決めつけてしまうことだ。
実際には、喜びを燃料にしない設計へと、行動原理そのものが組み替わっているだけかもしれない。
喜びか、痛みか、という問い自体が、
すでに古いフレームなのだとしたら。
今はただ、どの刺激を判断基準に採用しないかを、
静かに選別している段階なのだろう。




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