変人という生き方
- ncu807
- 10月11日
- 読了時間: 2分
知人がFacebookグループで「変人の会」を立ち上げられた。
嬉しいことにお誘いいただき、末席を汚すことになった。ありがたい話である。
自分で言うのもなんだが、「変人」であることは間違いない。
では、変人とは何か。諸説あるが、ここでは「こだわりを持ち、右向け左を実践する者」としておこう。
世の中が右を向くとき、少しだけ左を向いてしまう。
流れに逆らうわけではない。ただ、自分の中の感覚が「そっちじゃない」と告げるのだ。
先日、居酒屋でアルバイトの学生にこう言われた。
「Tシャツのプリントがガンダムですが、お好きなんですか?」
私は口の前に人差し指を立てながら、
「実は昔に乗っていたんです……」と返した。
学生は苦笑いをしていた。
そう、あの「滑った」瞬間である。
だが、私はその時間がけっこう好きだ。
誰もが恐れる“滑る”という事態を、あえて恐れず挑戦し続けること。
それこそ、変人の本領ではないかと思う。
多くの人は、空気を読もうとする。
だが、変人は空気を「つくる」。
読んで合わせるよりも、発して変えるほうを選ぶ。
それは時に孤独だが、同時にとても自由な行為でもある。
「そんなこと言って大丈夫ですか?」
「それ、ちょっと変ですよ」
そう言われるたびに、私は心の中で小さくガッツポーズをする。
「よし、自分を見失っていない」と。
変人であるということは、特別な才能ではない。
むしろ、自分の感覚に正直であろうとする普通の行為である。
ただ、その“普通”が、多数派の“普通”とは少し違うだけの話だ。
だからこそ、「変人の会」が立ち上がったことを、私はとても嬉しく思う。
きっとこの社会に、もっと多くの“変”が必要なのだろう。
変わることを恐れず、変えていくことを楽しむ人たち。
そんな仲間たちが増えたなら、世界は少しだけ面白くなる。
変人とは、結局のところ「自分の人生の操縦桿を自分で握っている人」のことだ。
他人の指示では動かない。
たとえ時々、滑っても。
さて、あなたの中の「変人」は、最近どんな声を上げているだろうか。




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