情報は「誰に」届けるかで価値が決まる
- ncu807
- 8月1日
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古い映画だが、ブルース・ウィルス主演の「ダイ・ハード」に、マーケティングの本質を突くような一幕がある。テロリストの首領ハンス・グルーバーは、ことごとく計画を妨害してくるジョン・マクレーン刑事に業を煮やしていた。そんな中、彼は人質の一人がマクレーンの妻であるという極めて重要な情報を手に入れる。これで脅迫し、彼の動きを止められると確信した。
しかし、その脅迫は失敗に終わる。なぜなら、その情報をマクレーン本人に伝える通信手段がなかったからだ。このワンシーンは、我々に重要な原則を教えてくれる。すなわち、「情報は、届けるべき相手に、然るべき方法で伝わってこそ、初めて価値を生む」のである。
この原則は、我々の日常にも当てはまる。例えば、新聞のお悔やみ欄。そこに並ぶ無数の名前も、それが知人でない限り、見た者の心を動かすことはない。そもそも新聞を開かなければ、その情報に触れることすらないのだ。
毎日のように流れる幼児虐待のニュースも同様である。多くの人にとっては画面の向こうの出来事であり、「気の毒な話だ」と思うだけで終わるかもしれない。しかし、その子を知る人や、同世代の子や孫を持つ人にとっては、我が事のように胸を痛め、涙を流すほどの衝撃となる。同じ情報でありながら、受け取り手の状況や関係性によって、その価値や影響力は天と地ほどに変わるのだ。
広告宣伝や営業活動も、これと全く同じ構造を持つ。どんなに素晴らしい商品やサービス、画期的な提案であっても、それを全く必要としていない人に情熱を込めて語ったところで、成果には決してつながらない。若い女性向けの化粧水を年配の男性たちにPRしても、それは空虚なこだまとなるだけである。
マスメディアを使った広告が効果を発揮するのは、「大数の法則」というメリットがあるからに他ならない。分母であるリーチ数が圧倒的に大きくなれば、それに比例して分子である顧客候補の絶対数が増える可能性は高まる。いわば「下手な鉄砲も数撃てば当たる」という戦略だ。しかし、現代のように情報が飽和し、顧客のニーズが多様化した時代において、この手法の効率は決して高くない。
だからこそ、「マーケティング」という思考が不可欠となる。自社の商品やサービスが、どのような課題を解決し、顧客にどのような価値変換(ビフォー・アフター)をもたらすのか。その価値を最も享受できるターゲットは、一体どこにいるのか。そして、そのターゲットに最も効果的に情報を届ける手段は何か。これらを徹底的に考え抜き、戦略を立てることがマーケティングの神髄である。
多くの作り手は、「これは良いものだ。だから作ろう。きっと売れる」というプロダクトアウトの発想に陥りがちだ。しかし、真の正解は、「これは売れる。だから作る。そしてやはり良いものだった」というマーケットインの発想なのかもしれない。市場に存在する明確なニーズを捉え、それに応える形で製品やサービスを開発してこそ、大きな成果を得ることができる。
かつて、ある企業が商品点数の80%を販売停止にしたという話を聞いたことがある。驚くべきことに、残りの20%の主力商品に特化した結果、逆に全体の売上を大きく伸ばしたという。これは、物事は単純なほうが、顧客にも伝わりやすく、企業の資源も集中できるという好例だ。
多くの企業が営業に悩んでいる。売れなければもちろん困るし、売れれば売れたで「もっと売るにはどうすればいいか」と新たな悩みを抱える。私もまた、常に「どこで、誰に、何を売るか」を考えている。
本日もお客様との面談が14件ある。この面談で、私はこのお客様に何を提供できるだろうか。単なる雑談ばかりで「油を売っている」と思われないようにしなければならない。相手の状況を深く理解し、相手が真に必要としている価値を、的確な言葉で提案する。その一点に集中してこそ、ビジネスは成立するのだろう。




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