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未来への「着地」──2028年の構想を、月曜日の朝に接続する

  • 執筆者の写真: ncu807
    ncu807
  • 2025年12月15日
  • 読了時間: 4分

2025年12月15日。

12月も折り返し地点を迎えた。街の空気は年末特有の慌ただしさを帯び、行き交う人々の足取りも心なしか速くなっている。だが、私の思考はその喧騒とは裏腹に、むしろ深い静寂の中にある。

先週まで、2026年から2028年にかけての「AIと人間の協働」、そして「感性のデジタル化」について、随分と長い時間をかけて言葉を紡いできた。3年後の世界がいかなる輪郭を持ち、そこで我々人間がどのような価値を発揮すべきか。その未来の解像度を高める作業は、あたかも未踏の山頂から雲下の景色を眺めるような、ある種の高揚感を伴うものであった。

しかし、登山の真髄が登頂そのものではなく、無事に下山することにあるように、構想における最も重要な局面もまた「着地」にある。山頂で得た圧倒的な視座を、いかにして安全に地上へと運び、日常という平地にその経験を実装するか。

未来を語ることは、実はそれほど困難ではない。真に困難なのは、その壮大で抽象度の高いビジョンを抱えたまま、この月曜日の朝、目の前にある地味で泥臭い実務に向き合うことである。

多くのビジョナリーが、この「未来」と「今」の激しい高低差に足を取られ、乖離に苦しむ。週末に広げた風呂敷が大きければ大きいほど、月曜日の朝の現実は重く、冷徹にのしかかるからだ。「世界を変える」という思考と、「請求書を処理する」という行為の間に横たわる深い溝。ここでこそ、先日触れた「意思決定OS」としてのAIが真価を発揮する。

週末に拡張させた思考の翼を、月曜日の朝にAIというパートナーと共に一度畳む作業。それは単なるタスク管理ではない。「2028年の理想」という遥か彼方の北極星から逆算し、論理の梯子を架け、「今日、この瞬間にやるべき1つのこと」まで因数分解するプロセスである。

AIは、我々が感情的に見失いがちな「因果の鎖」を冷静に繋ぎ止めてくれる。「3年後の革新」と「今日のメール返信」は、一見何の関係もないように思える。だが、AIとの対話を通じて文脈を整理することで、その些細な実務が未来への不可欠な一歩であるという確信へと変わる。単なる作業(ToDo)が、未来への布石(Asset)へと昇華されるのだ。この「意味づけの変換」こそが、夢想を現実へと変える唯一のブリッジとなるのである。

おかげさまで、主宰する「経営者育成研究会」への参加表明も日々増え続けている。「個」と「個」が有機的につながり、そこにAIという触媒が加わることで、私の予想をも超える化学反応が起き始めているのを肌で感じる。参加者たちの熱量は高く、議論は白熱し、新たなプロジェクトの芽が至る所で吹き出し始めている。

しかし、組織やコミュニティが熱を帯び、拡大する時ほど、その中心にいる人間は誰よりも冷静でなければならない。熱狂の中に身を投じるのではなく、熱狂を受け止める器となること。

以前、「受け身」であることの強みについて言及したが、それは決して事勿れ主義や、何もしないことを意味するものではない。柔道の達人が相手の力を利用して技をかけるように、時代の風、テクノロジーの進化、そして人々の熱量を敏感に感じ取りながら、自らの重心をブラさずに立ち続ける「動的な静寂」のことである。

周囲が加速すればするほど、中心は静止して見えるほどの安定を保たねばならない。台風の目が常に静けさを保つように、その静寂こそが、集う人々の安心感となり、遠心力に振り回されないためのアンカーとなるからだ。

2025年も残り半月となった。

遠くを見つめる「鳥の目」で2028年の景色を描き、足元の土を踏みしめる「虫の目」で今日の実務を遂行する。そして、時代の流れを読む「魚の目」で変化の潮目を捉える。

かつて人間は、この三つの視点を同時に持つことは不可能だとされた。しかし今、我々はAIという補助線を用いてこれらを統合し、多角的な視座を保ったまま歩くことができる。

今週も静かに、けれど着実に歩を進めていく。

未来は、どこか遠くにあるものではなく、今日の積み重ねの延長線上にしか存在しないのだから。目の前の一歩に、3年後の魂を込めて。



 
 
 

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