未知と恐怖、そして知ることの力
- ncu807
- 8月25日
- 読了時間: 3分
草木も眠る丑三つ時――。
怪談の枕詞としてしばしば登場するこの言葉を耳にすると、不思議と背筋がぞくりとする。実際にはただの時間帯にすぎないのに、なぜ私たちはそこに恐怖を感じてしまうのだろうか。
恐怖の源泉とは何か。
結論を言えば、それは「未知」である。すなわち「知らない」ということだ。
子どもの頃、暗闇や怪物に怯えたのは、それが何かを知らなかったからである。だが大人になるにつれて、そうした恐怖は少しずつ薄れていく。経験を積み、仕組みを知り、理解が深まるからだ。
お化け屋敷も同じである。初めて入ったときには心臓が跳ねるように恐ろしかったものが、仕組みを知れば恐怖は霧のように消えてしまう。誰がどこに隠れ、どんな仕掛けが動いているかを理解してしまえば、もう恐ろしくはない。
怪奇現象と呼ばれるものもそうだ。科学や理論で解明され、その背後の構造が明らかになれば、ただの現象として受け止められる。未知は恐怖を生むが、知ることはそれを鎮める盾となり、時に人生を切り拓く武器にもなり得る。
たとえば、詐欺の被害。毎朝のNHKでは「ストップ詐欺被害」という啓蒙が繰り返されている。それほど注意喚起されても、毎年莫大な被害額が発表される。ここにも「知らない」ことが根底にある。知識があれば防げたことも、知らなければ巻き込まれてしまう。
一方で「知る」ことが人を新しい場所に導くこともある。税務の国家資格を取得し、専門家として活躍する道がある。資格はなくとも、経営者の相談に耳を傾け続けた結果、事業承継のスペシャリストとして信頼を得た方もいる。知らなかったことを知り、学び、実践した積み重ねが、その人の強みをつくり上げるのだ。
私自身も、ニュースで耳にしたわからない言葉は調べるようにしている。歴史や宇宙の番組を観て初めて知った用語は、ウィキペディアで確認するのが癖になっている。もちろん、すべてを追えるわけではない。けれど「気づいたときにやる」だけでも、積み重なれば確かな財産になる。営業の現場で役立ったことも少なくない。
ただし年齢を重ねると、知らないことへの恐怖と同時に、新しいことを知ることへの躊躇も生まれる。
「今さら学んでも遅いのではないか」――そんな思いが心に芽生える瞬間がある。
それでもなお、未知への興味を失わずにいたいと願う。なぜなら、好奇心こそが老いの恐怖に立ち向かう最大の武器だと思うからである。
知らないものに近づき、知ろうとする。その繰り返しが、人生を少しずつ軽やかにしてくれる。
そしてその姿勢こそが、自分らしい未来を形づくっていくのではないだろうか?




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