東京と地方の「非対称性」が生む価値――私がすべきこと
- ncu807
- 2 日前
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私は毎年二千人の経営者と面談を重ね、二年半で四千件を超えるビジネスマッチングを実現してきた。 この数字は誇りたいから書くのではない。 これだけ多くの経営者と向き合ってきたからこそ、見えてきた「構造」があるからだ。
だから、率直に思う。 東京はやはり凄い。
ヒトが集まり、モノが集まり、カネが集まる。 情報も意思決定も、すべてが日本で最も高密度に集積している場所。 心なしか、時間の流れさえ地方より速く動いているのではないか、そんな錯覚に陥ることすらある。 次々と新しいビジネスモデルが生まれ、古いものは淘汰される。その新陳代謝の激しさは、間違いなく世界有数である。
では、地方には何がないのか。 私は、そうは思わない。 地方が東京の「劣化版」であるとか、遅れているという認識は、完全な誤りである。
地方には、ヒトが集まる「余白」がある。 モノを造り、育て、置いておける「空間」がある。 そして、まだ循環しきっていないカネが動き出す「チャンス」がある。
もっと言えば、地方には時間がある。 短期的な成果を急かされない時間。 試行錯誤を許容できる時間。 人と人の関係性を、ゆっくり熟成させることができる時間だ。
東京は「加速」の場所であり、地方は「熟成」の場所である。 東京は「消費」の最前線であり、地方は「生産」の最前線である。 東京は「論理」で動き、地方は「情緒」と「義理」で動く。
この二つは優劣ではない。 役割が違うだけだ。しかし、この役割の違い――すなわち「非対称性」こそが、ビジネスにおいては最大の武器になる。
多くの事業が失敗するのは、この相性の良さに気づかず、あるいはその翻訳に失敗するからだ。 東京のスピード感だけで地方を動かそうとすれば、軋轢が生まれる。逆に、地方の商習慣だけで東京の資本を動かそうとすれば、機会を逃す。 異なる時間軸、異なる言語で動いている両者を、無理やり接着させるのではなく、適切な「翻訳」と「設計」をもって噛み合わせる機能が、今の日本には決定的に不足している。
そう考えたとき、私がやるべき地方創生の形が、はっきりと見えてきた。 それは「地方で何かを起こす人間になること」ではない。 東京と地方の経営者を、正しく、意味のある形でつなぐことだ。
東京には、アイデアと資本とスピードがある。 地方には、現場と空間と継続できる時間がある。 どちらか一方だけでは、事業は歪む。 最先端のテクノロジーを持つ東京のスタートアップが、地方の伝統ある工場の技術と出会い、世界を変えるプロダクトを生む。東京の投資家が、地方の老舗企業の持つ有形資産の価値を再発見し、新たな命を吹き込む。
私はこれまで、数えきれないほどの経営者の悩み、挑戦、失敗、再起を見てきた。 その経験を通じて確信している。 本当に強い事業は、東京と地方のあいだ、その境界線上にこそ生まれるのだ。
だから私は、今日も面談を重ね、マッチングを続ける。 それは単なる紹介業ではない。異なるOSを持つ経営者同士の共通言語を探し出し、互いのリソースが最も輝く結合点を見つけ出す作業だ。
派手な地方創生のスローガンではなく、 一件一件、人と人をつなぐという、地味で確実な仕事を通じて。
東京のスピードと、地方の時間をつなぐ。 それが、私にできる地方創生であり、これからも変わらず続けていく、私の仕事なのだろう。




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