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決め続けるということ

  • 執筆者の写真: ncu807
    ncu807
  • 2025年12月30日
  • 読了時間: 2分

人はよく「何のために生きるのか」と問う。しかし、その問いに最初から明確な答えを持って生きている人は、実はほとんどいない。

多くの場合、答えは後から付いてくる。その時々で下した選択の履歴が、振り返ったときに一本の線として見えるだけである。

人生は、壮大な目的から始まるのではない。たいていは、目の前の小さな判断から始まる。

今日は逃げるのか。踏みとどまるのか。関わるのか。距離を取るのか。

その一つひとつが、静かに方向を決めていく。

多くの人は「正しい答え」を探そうとする。だが現実には、正解かどうかはその時点では分からない。分からないまま、決めなければならない。それが人生である。

選択には必ず代償がある。選ばなかった道の可能性を、すべて手放すという代償である。だから人は迷う。迷い続けることで、決断を先延ばしにする。

しかし、決めないという選択もまた、一つの決断である。しかもそれは、最も自分の人生から主体性を奪う決断である。

仕事も同じだ。環境が整ってから始めようとする。条件が揃ってから動こうとする。だが、条件が完全に揃うことなど一度もない。

あるのは、不完全な状況と、限られた時間だけである。

それでも前に進む人と、立ち止まり続ける人がいる。違いは才能ではない。覚悟でもない。決め続けるかどうか、それだけである。

決めた後に失敗することもある。思い描いた結果にならないこともある。だが、それでも決めた人には「次の一手」が残る。修正し、学び、また決め直す自由が残る。

一方、決めなかった人には、言い訳だけが残る。状況のせい、他人のせい、タイミングのせい。だがそれらは、人生を一歩も前に進めてはくれない。

人生を後悔で満たすのは、大きな失敗ではない。「あのとき決めていれば」という、無数の未選択である。

だから私は、問いを立て続けるよりも、選び続けたい。完璧でなくていい。迷いながらでいい。その時点での最善を、自分の名前で選ぶ。

生き方とは、思想ではなく行動の総和である。言葉よりも、日々の決断の方が、はるかに雄弁だ。

今日、何を選ぶのか。それが、数年後の自分をつくる。それだけは、間違いない。


 
 
 

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