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第1話 その日を「区切り」と決めた理由

  • 執筆者の写真: ncu807
    ncu807
  • 12 分前
  • 読了時間: 4分

2028年11月23日という「誓い」

私は手帳の未来のページに深く刻み込んだ。

この日は、私が「経営者育成研究会」の代表を降りる日である。

それは単なる役職の辞任や引退を意味するものではない。


このコミュニティが、ついに私個人の手を離れ、一つの人格を持った組織として自立し、歩き始めることを意識した象徴的な日だ。

その未来図を語る前に、まずは原点に触れておかねばならない。「そもそも、この会はどこから始まったのか」ということについてである。


原点:2021年10月13日

経営者育成研究会が産声を上げたのは、2021年10月13日であった。

当時、今のような大それた計画があったわけではない。

きっかけは、たった一件の紹介と、たった一つの面談。

そこには「経営者に寄り添いたい」という、小さな、しかし確かな火種が灯ったに過ぎなかった。


4年間の軌跡と現在地

あれから四年あまりの月日が流れ、カレンダーは2025年12月8日を示している。

振り返れば、週40件のオンライン面談は一度も途切れることなく、累計では8,000件を超える対話が続いている。

2021年12月に細々と始めた経営者対談は180回を超え、2023年4月にスタートした会員制のマッチングは、現在会員数120名、マッチング実績は4,021件にまで積み上がっている。

こうして数字だけを並べると、いかにも順風満帆で活動的に見えるかもしれない。

しかし、私の実感としては、何か特別な才覚を発揮してきたという意識は皆無である。

ただひたすらに「目の前の相談に向き合い、必要だと思う人を紹介し続ける」。

その愚直な反復を繰り返していたら、いつの間にかこの場所に立っていた、というのが正直な感覚に近い。


浮き彫りになった課題:組織の「属人化」

だが、その膨大な積み重ねの中で、看過できない事実が浮き彫りになってきた。

この研究会は、いまもなお、その運営の多くが「私ひとり」を経由して動いている、という現実だ。

面談も、紹介も、企画の方向づけも、どうしても「私」というハブを通らなければ成立しない。

それは頼られる喜びであると同時に、組織としての脆弱性そのものでもある。

このままでは、コミュニティの寿命が、私個人の体力や集中力と運命を共にしてしまう。

万が一、私に何かが起きれば、この場は機能を停止するだろう。

「経営者に寄り添う」と謳いながら、その継続性を個人の資質に依存している状態は、あまりに無責任であり、危ういと感じるようになったのだ。


2028年11月23日に向けた決意

そこで至った結論が、自分の立ち位置を意識的に、かつ計画的に変えていくことである。

ある日突然「今日で終わります」と幕を引くのではない。

時間をかけて役割を移譲し、私が前面に出なくとも、自律的に循環し続ける生態系をつくる。

そのためには、漠然とした努力ではなく、「このあたりをひと区切りにする」という明確な期限が必要だと判断した。

その道標として定めたのが、2028年11月23日である。

これはゴールテープではない。研究会が次のフェーズ、すなわち「創業者の体温」から「組織の文化」へと昇華するための節目である。


残された3年間のロードマップ

今日から数えて、あと三年弱。

この残された時間を、私は以下の取り組みに捧げようと考えている。

* これまでの活動の徹底的な棚卸し

* 私が感覚で行ってきた判断基準や価値観の言語化

* 人とAIによる役割分担と、業務の仕組み化

もちろん、このロードマップ通りに事が運ぶとは限らない。

想定外の荒波もあるだろうし、ペース配分が変わることもあるだろう。

それでも、「だいたいこのあたりでバトンを渡す」という意思を公にし、退路を断つこと自体に意味がある。


本稿から始まる全5話のシリーズでは、2025年12月という“今ここ”の視点から、2021年から2025年までの泥臭い積み重ねと、2028年11月23日までの緩やかな移行計画を、淡々と記録していきたいと思う。


続く第2話では、この四年あまりで経営者育成研究会が具体的に何をし、どのような変化を経てきたのか。その足跡を、もう少し丁寧に振り返ってみたい。




 
 
 

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