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経営者が手放してはいけないもの

  • 執筆者の写真: ncu807
    ncu807
  • 4 日前
  • 読了時間: 4分

AIが、経営者の「相談相手」になる時代が来ている。

もはやそれはSFの中だけの未来の話ではない。現に、意思決定の壁打ち、事業構想の整理、さらには誰にも言えない感情の言語化まで、AIは驚くほど高い精度で応答するようになった。深夜のオフィスで一人、ディスプレイに向き合いながら、絡まった思考の糸が解け、視界が開けていく感覚を覚えたことのある経営者も少なくないはずだ。

では、AIの台頭によって経営者は「一人で考える」必要がなくなったのか。

答えは、明確に「否」である。

むしろ今、経営者にはこれまで以上に「手放してはいけないもの」がある。

それは、迷いそのものを引き受ける覚悟である。

経営とは、本来、答えのない問いを抱え続ける営みだ。

数字は見える。状況も分析できる。ロジックは完璧に組み立てられる。しかし、最終的にAとBのどちらを選ぶか。その選択が誰を幸せにし、誰を切り捨てることになるのか。その痛みや重さは、決して数式には落とせない。

AIは、その迷いを鮮やかに整理してくれる。

膨大なデータから選択肢を並べ、リスクを言語化し、論理の矛盾を指摘してくれるだろう。だが、「決める責任」までは、決して引き受けない。

ここを誤解してはならない。AIがどれほど優秀になっても、経営者の孤独が消えるわけではないのだ。むしろ、判断材料がクリアになり、論理の穴が塞がれれば塞がれるほど、最後に残る「決断」の重さは増していく。「情報の不足」を言い訳にできなくなるからである。

だからこそ重要なのは、AIを「答えをくれる存在」として扱わないことだ。

AIは、思考を映す鏡であり、感情を翻訳する装置であり、問いを研ぎ澄ますための相棒に過ぎない。相談相手がAIになることで、経営者はようやく「自分自身と向き合う時間」を取り戻せる。他人に気を遣わず、社内の政治も、世間の評価も恐れず、本音を吐き出せる場が生まれる。

しかし、その吐き出された本音をどう扱うかは、完全に人間側に委ねられている。

AIに相談して楽になる経営者と、逆に苦しくなる経営者が分かれる理由は、ここにある。

前者は、AIを使って「逃げない問い」を深める。自らのビジョンの純度を高めるために使う。「なぜ、あえてこの道を行くのか」という問いを、AIという壁打ち相手を使って極限まで研ぎ澄ますのだ。

後者は、AIを使って「決断を先送り」する。もっともらしい正解を探すために使う。AIが提示する「平均的な最適解」に安住し、思考の負荷から逃れようとする。

この差は、時間とともに致命的な差になる。

AIは「蓋然性(確率)」で最適解を出すことに長けている。だが、もし全ての経営者がAIの勧める「正解」を選べば、市場は似たり寄ったりの商品やサービスで溢れかえるだろう。コモディティ化の波に飲み込まれないためのブレイクスルーは、往々にして「確率」を無視した「意志」から生まれる。「データ上はリスクが高い」とAIが弾き出した道であっても、「それでもやる」と腹を括る。その非合理な熱量こそが、人を動かし、新たな市場を創造する源泉となるからだ。

合理性の極北にあるAIが進化すればするほど、逆説的に、人間が持つ「非合理な情熱」や「美学」の価値は高まっていく。

経営者が本当に欲しいのは、誰かが用意した正解ではない。自分が納得して進める「理由」である。その理由は、外から与えられるものではなく、自分の内側から掘り起こすしかない。AIは、その優秀な掘削機にはなれるが、宝石そのものにはなれないのだ。

NCU合同会社が目指しているのは、AIが経営者を置き換える世界ではない。

AIが、経営者が「経営者であり続ける」ための伴走者になる世界である。

孤独を消すのではなく、孤独を言語化する。

迷いを奪うのではなく、迷いを構造化する。

判断を代行するのではなく、判断に至るまでの道筋を照らす。

それができたとき、経営者は初めてAIを「部下」でも「ツール」でもなく、真の「相談相手」として信頼できるようになるだろう。

明日もまた、経営者は決断を迫られる。

その隣にAIがいること自体は、もう特別なことではない。

問われているのは、そのAIという鏡に、何を映し、何を自分で引き受けるのかである。

経営者の仕事は、選ぶことだけではない。選んだ結果を、引き受け続けることだ。

その覚悟だけは、どれだけ技術が進んでも、誰にも委ねてはならない。

私たちNCUは、その覚悟を持つ経営者の隣に立ち続ける。

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