苦しい時にこそ、人に優しくあれ
- ncu807
- 2025年11月14日
- 読了時間: 2分
「もう、生きていたくない」
そう思ったことが二度ある。
一度目は中学生の頃だった。
何の目標もなく、親友と呼べる友もいなかった。学校にも家庭にも、居場所を見つけられなかった。未来という言葉が、どこか遠くの誰かのもののように感じられた。
ただ、漠然と——何もかもが嫌になった。
二度目は、事業がうまくいかなくなった時だ。
「俺はやれる」そう信じて始めた。
だが現実は、理想のようには進まない。
思い描いた道が霧に包まれ、出口の見えない日々。自信は砂のように崩れ、言葉だけが虚しく響いた。八方塞がりの中で、ただ逃げ出したくなった。
それでも、不思議といつも誰かが支えてくれた。
言葉少なに寄り添ってくれる人。
厳しいことを言いながらも、見捨てずにいてくれる人。
どの人も共通していたのは、優しさだった。
甘やかしではなく、覚悟を伴う優しさ。
その温度が、折れかけた心をそっと支えてくれた。
思えば、人は余裕がある時よりも、むしろ苦しい時にこそ「本当の優しさ」が試される。
自分が傷つき、焦り、見失いかけた時に、他者を思いやる心を保てるかどうか。
それが人間としての深さなのだと、ようやく思うようになった。
私を支えてくれた人たちは皆、自分自身の苦しみを知る人たちだった。
だからこそ、他人の痛みに気づけたのだろう。
優しさとは、強さの裏返しなのかもしれない。
それを実感した時、私もそうありたいと思った。
苦しい時にこそ、人に優しくあれる人間でありたいと。
もちろん、簡単なことではない。
自分の心が荒れている時には、他人の一言に過敏に反応してしまうこともある。
それでも——その一瞬、立ち止まって、「この人も何かを抱えているのかもしれない」と思えたなら、それが優しさの始まりなのだと思う。
優しさは、誰かを救う。
同時に、自分自身も救う。
支えられる側だった私は、いつの間にか、支える側になりたいと願うようになった。
生きるとは、その繰り返しの中で、少しずつ人を思えるようになっていくことなのかもしれない。
そして、その一歩目は——
苦しい時にこそ、人に優しくあろうとすること。
その選択ができた時、人生はもう、ほんの少しだけ光を取り戻している。




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