観光と仕事、そのあわいにあるもの
- ncu807
- 10月10日
- 読了時間: 3分
ああああ〜
長崎わぁ〜
今日もぉ〜
晴れている。
長崎に来るのは、これで二度目である。
最初は二十六年前、ハウステンボスの創設者に会いに来た時だった。
当時はまだ若く、夢を追いかける情熱と、不安と、期待がないまぜになっていた頃だ。
まさか再びこの地を訪れることになるとは思っていなかった。
今回は観光半分、遊び半分――とはいえ、やはり中心にあるのは仕事である。
朝はカフェでメールを捌き、昼にはオンラインで打合せ。
夜は地元の居酒屋で経営について語り合い、気づけば時計の針が進んでいた。
旅先でも仕事を止めないというより、むしろ「旅先だからこそ」働き方や発想が柔らかくなる。
それが今の自分の働き方なのだと思う。
昨日は稲佐山から長崎の街を見下ろした。
幾重にも重なる丘の家並み、港に光る船の列。
遠くの空にはゆっくりと雲が流れ、海風が頬を撫でていく。
観光客としての目線で見る長崎は、どこか懐かしく、そして新しい。
それは“時の層”のようなものだ。
続いて訪れた眼鏡橋では、石造りのアーチが水面にくっきりと映えていた。
裸眼で眺めながら、ふと「人の営みは、重ねた時間のアーチでもあるな」と感じる。
この橋もまた、多くの人々の手によって磨かれ、受け継がれてきたのだろう。
そんな思いで歩いていると、出島の跡地にたどり着いた。
異国との交易を担ったその小さな島は、いまや歴史の象徴であり、
それでもどこかに“交流”という言葉の原点を感じさせる場所だった。
文化も思想も、そしてビジネスも、結局は人と人との出会いの積み重ねなのだ。
旅をしていると、仕事と遊びの境界が曖昧になっていく。
昼間は観光を楽しみながらも、頭の片隅では次のプロジェクトの構想を練っている。
夜は会食の席で、偶然隣り合わせた人との会話が新しいビジネスの種になる。
これを「仕事モード」と呼ぶのか「旅モード」と呼ぶのか――自分でも時々わからなくなる。
だが、思う。
観光とは“感性をひらく仕事”であり、
仕事とは“目的をもって旅する行為”なのではないかと。
風景を眺めながら、ふと湧いた発想が次の事業を生む。
人と語り、食を味わい、文化に触れることが、自分という経営者の土壌を耕してくれる。
そう考えると、旅と仕事は決して相反するものではなく、むしろお互いを補い合う関係なのだと思えてくる。
おかげさまで今回の旅も、成果と手応えを感じるものになりそうだ。
そして同時に、自分の内側にある何かが少しだけ変わり始めているのを感じる。
それは、風のように静かで、しかし確かな変化である。
さて――
ビジネスとかけて、長崎ととく。
その心は?
どちらも“港”がある。
人が出会い、別れ、そしてまた帰ってくる場所。
旅を終えたあとも、その港に吹く風を忘れずにいたい。




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