議論を捨て、未来を拾う:坂本龍馬に学ぶ「真のリーダーシップ」
- ncu807
- 2025年12月22日
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幕末の風雲児、坂本龍馬はかつて**「議論はするな」**と説いたという。
一見すると、激動の時代を弁舌で駆け抜けた彼に似合わぬ言葉に思える。しかし、この言葉の真理を掘り下げていくと、そこには人間心理の本質を突いた、驚くべき洞察が隠されていることに気づかされる。
「正論」という名の凶器
「議論をしない」とは、決して思考を停止することではない。ましてや、自分の意見を殺して周囲に迎合することでもない。むしろその逆である。相手の心を開き、停滞した現実を動かすために、あえて「正論による屈服」という手段を封印する高度な戦略なのだ。
人は「論破された瞬間」に、思考を止める。
幕末という時代は、尊王攘夷から開国まで、相容れない思想と立場が複雑に入り乱れた混沌の世であった。そこで求められたのは、どちらの理屈が正しいかを競う「審判」ではなく、異なる価値観を持つ者同士を束ね、未来を創る「実行者」の存在であった。
議論に勝敗がついた瞬間、そこにあるのは勝者の優越感と、敗者の屈辱感だけである。人は論理的に正しい指摘を受けたとしても、それが「否定」という形で突きつけられれば、生物としての防衛本能が働く。感情のシャッターを下ろし、耳を閉ざす。結果として相手は考えを変えるどころか、自らの正当性を守るために、より強固に旧来の立場へとしがみつくことになる。
これは理屈ではない。人間の脳に刻まれた、根源的な反応なのだ。
現代の組織に蔓延する「正しさの罠」
この光景は、現代の経営現場でも驚くほど頻繁に繰り返されている。
会議室で鋭い正論をぶつけ、部下やパートナーを沈黙させたところで、組織は一ミリも前進しない。表面上は従順な態度を示していても、その内心では静かな離反が始まり、主体的な行動は失われていく。正しさを武器にするリーダーは、一時的な統制を手に入れる代わりに、組織から「自発性」という最も貴重なエネルギーを奪い去っているのである。
では、人を動かし、組織を前進させるためには何が必要なのか。答えは単純である。
人は「自分で気づいたこと」しか、本気では実行しない。
だからこそ、プロフェッショナルが選ぶべきは「議論」ではなく「問い」である。
答えを押し付けるのではなく、新たな視点を差し出す。既存の考えを否定するのではなく、別の選択肢を提示する。相手の思考が自ら動き出すための「余白」を、意識的に残しておくのだ。
薩長同盟という「非論理的」な奇跡
龍馬が薩長同盟という奇跡を成し遂げ、敵対する勢力を一つにまとめ上げることができたのは、彼が誰よりも雄弁だったからではない。相手を言い負かさず、相手の懐に入り込み、共に同じ方向を見つめる関係性を築いたからである。彼は「正しさ」という孤独な椅子に座ることを拒み、泥臭い「関係性」の中に未来を見出した。
正しさは、時に人を孤立させる。
だが、歴史を動かし、事業を成功へと導くのは、冷徹な正論ではない。互いの違いを認め合い、共通の目的に向かって歩み寄る「関係性」の力である。
変化を生み出すための「選択」
私たちは自らに問い直さなければならない。
「自分は、目の前の議論に勝つことを目指しているのか。それとも、望む変化を生み出すことを選んでいるのか」
その選択ひとつで、組織の空気は変わり、事業の軌道は変わり、人間関係の景色は一変する。
議論に費やすエネルギーを、対話と創造へ。
正しさを証明する時間を、信頼を育む時間へ。
NCU合同会社は、コンサルティングやプロジェクトマネジメントの現場において、この「議論を超えた対話」を重視している。クライアントの皆様と共に歩む際、我々が持ち込むのは完成された「正解」ではない。共に悩み、共に問い、自発的な変化を促すための「触媒」でありたいと考えている。
龍馬が遺した「議論をするな」という言葉を胸に、私たちは今日、誰と、どのような未来を語り合うべきだろうか。
勝負を捨てた先にこそ、真の勝利が待っている。




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