7日という日に思うこと
- ncu807
- 1 日前
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父と過ごした時間は 19,657日。
53年と300日。
息子と過ごした時間は 2,356日。
6年と164日。
数字に置き換えると、どこか乾いた響きにも思えるが、その一日一日は決して代わりのきかない、かけがえのない時間であった。
一人によって生を与えられ、もう一人によって生かされている
7日は月命日である。
私が生まれてきたのは父のおかげであり、そして息子と生きたことで私は生かされ続けている。
特に1997年5月以降、私はずっと「生きる意味」を探し続けている。
問いに答えを出せないまま歩き続けてきた日々は、時に長く、時にあっという間だった。
起業という選択
1999年8月17日、私は起業した。
理由をひとことで言うなら、それは「生きる意味」を探すためであった。
しかし現実は甘くはなかった。
自信満々だった鼻っ柱は、挫折のたびに折られ、時に複雑骨折のように粉々になった。
それでも不思議と、立ち上がる気力はどこかから湧いてきた。
もしかするとそれは、父から授かった命と、息子が残してくれた思い出が、私の背中を押し続けているからかもしれない。
数字の奥にあるもの
53年と300日 6年と164日。
数字だけを見れば、あまりに短く、あるいは長く思える。だが本当のところ、それらは長さで測れるものではない。
時間は「どれだけ」ではなく、「どう生きたか」でしか意味を持たない。
そして私は、父と息子の存在によって生きることを選び続けてきた。
そして第二の出発
2020年9月29日。私は二度目の起業をした。
あの日を境に、人生の舵をもう一度切ったのだと思う。
一度目の起業で味わった挫折も、父と息子と過ごした日々も、すべてが重なり合って、その選択を後押しした。
過去の痛みも喜びも、これからの道の一部として結びついている。
今日という日をどう積み重ねるか。
その答えを探す旅は、今も続いている。
そしてその旅は、まだ終わることはないのだろう。

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