AIが空気になる日
- ncu807
- 12 時間前
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この三年、私たちは“空気のような技術”を手に入れつつある。
かつては驚きを伴ったAIの出力も、いまや自然な応答として受け流すようになった。
それはまるで、火の発見から電気の普及へと移り変わった時代のように、「道具が意識の外側へ退いた」瞬間である。
2022年から2025年のあいだ、技術史は駆け足で進んだ。
OpenAIのGPT-4oが言葉・画像・音声を統合し、o1モデルが「考えるAI」の萌芽を見せた。
NVIDIAのBlackwellチップが桁違いの処理性能を引き出し、PCはNPUを備えてローカルで推論する時代へ。
そして、Apple Vision Proが空間を拡張し、Starshipが地球圏を飛び越え、再生エネルギーは人類史上最大の導入量を記録した。
同時に、EUのAI法が整備され、私たちはようやく「どう使うか」を問われる段階に来た。
もはや“できること”を増やす競争ではない。
“なぜそれを使うのか”という意志の設計が問われている。
この延長線上で、2028年までの風景を想像してみよう。
AIは「生成」から「行動」へと進化し、マルチモーダル・エージェントが私たちの業務を支える。
彼らは指示を待つ存在ではなく、目的を理解して動く仲間になるだろう。
また、企業の多くはクラウドとローカルを使い分け、秘匿データは端末で処理する。
AIが社内インフラに溶け込む――そんな“ローカルAI”の世界が現実となる。
同時に、エネルギーの現場ではAIが発電と需要を最適化し、バイオ分野では遺伝子編集治療が日常診療の一部になっていく。
再生可能エネルギーと情報技術が共振し、私たちは「制御する自然」と「共に生きる自然」の狭間を歩くことになるだろう。
もちろん、リスクもある。
AIの倫理と信頼性、データの真正性、人材の再設計――これらは単なる技術課題ではなく、社会の構造問題である。
だが、過去三年の速度を見れば、危機と創造は常に対になって訪れる。
私がいま感じているのは、“問い”の重要性である。
AIは答えを返す。
しかし、人間が問いを発しなくなれば、答えは意味を失う。
私たちがこの時代に学ぶべきは、「正確な答えの出し方」ではなく、「豊かな問いの立て方」なのではないか。
技術が空気になる日。
それは、便利さが極まる未来ではなく、意志が試される時代の始まりである。
さて、いま何をAIに問うべきか、それを悩みたい。

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