【第5話】2028/11/23とその先に、何を見ているのか
- ncu807
- 3 日前
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更新日:9 時間前
ここまでの4話を通じて、2021年の立ち上げから現在に至るまでの積み重ね、そして2026年から2027年にかけて、徐々にその役割をAIやシステム、そして他者へと移管していくイメージを綴ってきた。
このロードマップの最終話となる今回は、本シリーズのタイトルにもなっている「2028年11月23日」という日付と、その先に広がる景色について、現時点での私の視座を静かに記しておきたい。
私の中で、2028年11月23日は「経営者育成研究会の代表を降りる日」として、明確に置いているマイルストーンである。
しかし、その日に何か華々しい引退式を行いたいわけではない。大きな会場を借り、花束を受け取り、万雷の拍手の中で感動的なスピーチをする――そのようなドラマチックな幕引きは、私の考えとも、この研究会の本質とも異なる。
むしろ理想とするのは、その日が近づいた頃、周囲の会員や関係者がふと気づくような静かな変化だ。「そういえば、最近代表があまり前に出てこないね」「彼がいなくても、この会は滞りなく回っているね」。そう囁かれることこそが、私にとっての最大の賛辞となるだろう。それは、組織が特定の個人のカリスマ性や属人性から脱却し、自律的な生態系として完成したことの証左だからである。
2027年までのプロセスにおいて、面談やマッチングといった実務の多くはAIが担うことになるだろう。その中で私は、「全体の方向性」と「価値観(カルチャー)」の守護者としての役割に純化し、実務の最前線からは一歩退く覚悟だ。そうして一年、二年と時間をかけて権限と機能を剥がしていくことで、2028年のその日を迎える頃には、研究会の日常はすでに「私がいなくても回っている状態」に限りなく近づいているはずだ。
もしその通りになっていたとしたら、当日の私は特別な演出などせず、ただ静かに「ここまで来たのだな」と独りごちるだろう。それは寂寥感ではなく、子育てを終えた親のような、あるいは作品を世に放った職人のような、安堵と達成が入り混じった感情であるに違いない。
では、代表という肩書きを降ろした後、私は何をするのか。
基本的には研究会の運営から離れることになる。しかし、それは完全な断絶を意味しない。この場に根付いた価値観や文化が形骸化しないよう、遠くから見守る「顧問」や「長老」のような位置づけになるのかもしれない。必要な時にだけ本質的な助言を行い、あるいは停滞した空気に新しい風を吹き込むための“最初の火”を灯す提案をする。そのような、適度な距離感を保った関わり方が、しばらくは続くのではないかと予感している。
一方で、私の手を離れた研究会そのものも、2028年以降は独自の進化を遂げていくことになるだろう。
AIは膨大なログと履歴を学習し、その時々の会員に最適化された提案を精緻に行うようになる。そして運営の中枢には、新しい世代の経営者たちが参画し、彼らの時代感覚と言葉で、新しい「場」を再構築していくだろう。私が立ち上げ、育ててきたつもりだったこの研究会は、気がつけば「誰か個人の所有物」ではなく、参加する全員で形を変えながら継承していく「公器(パブリック・コモンズ)」へと昇華されていく。それこそが、私がNCUとして目指した組織の最終形なのかもしれない。
もちろん、未来は不確定だ。2028年11月23日に何が起きるか、正確に予測することは誰にもできない。このロードマップ通りに進まない可能性も十分にあるし、想像もしなかった障壁が現れるかもしれない。
それでも、今の自分にとって「このあたりでいったん区切りをつける」と決めておくことには、極めて重要な意味がある。終わりを意識するからこそ、今なすべきことの輪郭が鮮明になるからだ。
その日まで、あと三年弱。
残された期間でやるべきことは、決して派手な打ち上げ花火ではない。これまでの膨大な蓄積を整理し、判断の軸を言語化し、AIや信頼できる仲間たちへ、少しずつ、丁寧にバトンを渡していく。その地道な積み重ねの延長線上にのみ、2028年11月23日という一日が、静かに、しかし確実に存在する。
経営者育成研究会は、もともと「孤独な経営者に寄り添いたい」という、とても個人的で小さな思いから始まった。その原点さえ忘れなければ、代表が誰であっても、AIがどれだけ高度化しても、あるいは組織の形がどう変わろうとも、この場はゆるやかに、そして力強く続いていくはずだ。
この全5話のロードマップは、未来を確約する契約書ではない。2025年の今日、私が見ている景色をありのままに書き残した、一種の「航海図のメモ」である。
数年後、これを読み返したとき、「だいたいこの通りだったな」と頷くのか、それとも「全然違う方向に転がったな」と苦笑いするのかは分からない。しかし、どちらに転んだとしても、そこに至るまでの数年間を、研究会に関わってくれるすべての人たちと共に、真摯に、丁寧に歩んでいければ、それだけで十分だ。
今はただ、そのプロセスそのものを愛おしく思いながら、明日からまた一歩ずつ、静かに歩みを進めていきたいと思っている。




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