キャラメルと水
- ncu807
- 10月3日
- 読了時間: 3分
映画「戦場のピアニスト」に、忘れがたい場面がある。
主人公シュピルマンの父が、法外な値段で手に入れたたった一粒のキャラメルを、家族のために小さなナイフで切り分けるシーンだ。甘味を口にするのはいつ以来だったのか。わずかな欠片が、ほんの一瞬だけ飢えや恐怖を忘れさせ、家族の心を繋いでいた。
このシーンの直後、家族は収容所へ移送され、命を落とす。生き延びたのはシュピルマンただ一人であった。
「キャラメル一粒」にこれほどの意味が宿る状況とは何か。それは「希少性」と「切実さ」が生み出す価値である。
堀場雅夫の著書『いやならやめろ』には、こんな問いかけがある。
「500mlのペットボトルの水を1万円で売る方法とは?」
答えは「砂漠に行く」である。
砂漠においては、水は単なる商品ではない。生死を分ける必需品である。平凡なペットボトルが、一瞬にして命の値段へと変わる。
この二つのエピソードは、私たちが「価値」をどう捉え、どう生み出すかを鋭く示している。
市場にあふれる商品やサービスの多くは、価格競争の中で「いかに安く売るか」に意識を奪われがちである。安くすれば売れる。売れれば安心する。しかし、それは同時に自らを「ありふれた存在」に追い込む道でもある。
考えてみれば、キャラメルや水そのものは、決して特別なものではない。日常の中にありふれている。しかし、置かれた状況、受け取る人の切実な欲求、その一瞬を包む物語によって、圧倒的な価値が立ち上がる。
「高く売れる」というのは、単に価格が高騰するという意味ではない。それを得たいと願う人にとって、かけがえのない存在になるということである。
私たちが仕事や表現に取り組むときにも、同じ問いが立ち上がる。
「それはどの砂漠で必要とされるのか」
「誰にとってのキャラメルであるのか」
人はモノやサービスそのものを買っているのではない。そこに込められた時間や物語、置かれた状況における必然性を買っているのである。だからこそ「安売り」は慎重でなければならない。安さだけを武器にすれば、やがて誰もが同じ戦場に並び、削り合い、疲弊する。
むしろ、自分だけが提供できる「状況」と「文脈」を見つけることが重要である。それは大げさなことではなく、日常の中に潜んでいる。誰もが見過ごしている小さな「砂漠」、誰かにとって切実な「キャラメル」を見出す力である。
ビジネスにおいても、キャリアにおいても、そして創造的な営みにおいても同じだろう。自分の活動を「どこで」「誰に」届けるのか。その一点が定まれば、価値は自然と立ち上がる。
だからこそ、私は安売りを禁物と考える。
値段を下げるのではなく、意味を高める。
競争をするのではなく、必然を探す。
その先にこそ、真の「対価」と呼べるものが存在するのではないだろうか。




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