動かない、だから
- ncu807
- 9月29日
- 読了時間: 2分
人は自分の思ったようには動かない。
こちらが一生懸命に話していても、耳を傾けているのかどうか分からないことがある。
「どうせ理解してもらえない」と心のどこかで諦めてしまう瞬間さえもある。
そんな経験は、誰にでもあるのではないだろうか。
昔は「分かってくれるはず」と期待することが多かった。
仕事でも、友人関係でも、熱心に語れば相手も同じように動いてくれるだろうと思い込んでいた。
しかし現実はそうではない。
思いを伝えたからといって、相手がすぐに行動を起こすわけではない。
そこで考え方を少し変えてみた。
人に期待するのではなく、自分がまず動いてみる。
共に歩き、共に語り合う時間を増やす。
そうすることでしか、理解というものは育たないのではない。
「理解してもらう」よりも「理解し合う」こと。その違いに気づいたとき、肩の力が少し抜けた。
もちろん、簡単なことではない。
人と向き合うには時間も労力も必要だ。
ましてや仕事の場であれば、効率ばかりを優先したくなる。
それでも、積み上げてきた「一緒に動いた記憶」は、確かな土台になる。
逆に言えば、自分が何もしなければ相手も何も動かない。
期待だけしていても何も始まらない。
「動かないのは相手のせいだ」と思うのは簡単だが、実はそれでは何も変わらないのだ。
もっと言えば、「動かないのは相手ではなく、自分の力不足かもしれない」とそう思うようにしたみた。
不思議なことに、そう考えると次の施策が自然と見えてくる。
工夫して伝え方を変える、場を変える、やり方を変える。
小さな調整を重ねることで、ようやく相手と歩調が合う瞬間が訪れる。
それは決して「自分が我慢して一方的に合わせる」という意味ではない。
むしろ、自分が変わることで相手も変化しやすくなる。
その流れを作るきっかけを、自分から差し出すということだ。
考えてみれば、人を変えることは難しい。
けれど自分を変えることは、それよりは簡単だ。
今日の行動を少し変えるだけで、明日の景色は変わる。
それが結果的に、相手との関係にも変化を生み出す。
「相手を動かそう」とするよりも、「自分が動く」。
その方が、結局は近道なのである。
今、誰かが動いてくれるのを待ってはいないか?
それとも、まずは自ら一歩を踏み出してみようと思うだろうか?




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