天知無用という歩み
中学の頃、転校生として少しいじめを受けた。
やはり、当時の日々はあまり楽しいものではなかった。
大学に入ってからは、ちょっとだけボランティア活動に関わった。
そのとき、この世は必ずしも楽しいだけの場所ではないということを初めて知った。
やがて社会に出て営業職に就いた。
最初は戸惑いの連続であったが、次第に自信がつき、仕事を若干楽しいと思えるようになった。
しかし、ある日小学一年生の一人息子が交通事故で逝ってしまった。
その瞬間、私の世界から楽しいことはすべて消えた。
高校時代、社会の授業で「人はいかに生きるべきか」という問いに少し触れた。
学生の頃には「自分はどう生きるべきか」をそれなりに悩んだりもした。
会社員になってからは、当たり前の生活がこのままずっと続くと信じて疑わなかった。
だが、息子が天に召されてからというもの、私はいつも「自分は何を為すべきか」という問いに立ち返る。
それは、かつてのように一時の思索ではなく、生きる上での根源的なテーマとなった。
私は、天が知るような絶対の真理などないと思っている。
そんなものは無用だ。
私はわからない。
だからこそ知りたい。
人はいかに生きるべきか。
何を為すべきか。
自分はどう生きるべきか。
この答えを探すために、私は今この瞬間に思うことや感じることを文字に変えてきた。
一年のあいだに五百篇のエッセイを綴り、それを世に送り出した。
エッセイ集「天知無用」というシリーズは、そうして一年で十冊という形になった。
『トム・ソーヤーの冒険』で知られる作家マーク・トウェインは、こう語っている。
「人生で最も重要な日を二つ挙げるなら、それは生まれた日と、その理由を見いだした日である。」
そのひとつを私はすでに知っている。
そしてもうひとつを知るために、私は今日も書く。
あなたは、人生の「理由を見いだした日」をもう迎えただろうか。
あるいは、まだ探し続けているのだろうか。
私はその答えを求めながら、これからも筆を執り続けたい。




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