崩れる、崩れない
- ncu807
- 10月16日
- 読了時間: 2分
小さなことで簡単に崩れ、積み上げるのは容易ではない。
信頼とは、そういうものである。
一方で、「そんなことで崩れるようなものは、信頼関係とは言わない」と語る人もいる。
これは、何を意味しているのだろうか。
最初の言葉が示すのは、多くの人が実感する「信頼の儚さ」である。
約束の小さな違反、情報の共有不足、一貫性のない言動。
日々の些細なミスや不誠実さが積み重なり、それまで時間をかけて築いてきた信頼が、あっけなく崩れ去ることは少なくない。
信頼とは、誠実さという名の小さな石を、一つひとつ積み上げ続けることでしか完成しない塔のようなものだ。手を抜けばすぐに傾き、怠れば簡単に崩れてしまう。
だからこそ、私たちは慎重に、丁寧に、信頼を積み上げていこうとする。
しかし、もう一方の言葉には、「真の信頼」に対する強い意志と、高い基準が込められている。
真に強固な信頼関係とは、単なる約束の履行や義務の遂行を超え、お互いの「人間としての本質」や「価値観」を深く理解し、受け入れ合っている状態のことではないか。
もし、相手が些細なミスをしただけで、その人のすべてを疑い、関係が崩れてしまうのなら、それは「信頼」という名の安心感を借りて、自分が相手に完璧さを求めていただけなのかもしれない。
真の信頼とは、互いの不完全さをも織り込み済みである。
人は過ちを犯し、失敗する。
ときに裏切ってしまうこともある。
それでも、なぜそうなったのかを正直に伝え、真摯に向き合い、誠実さを示し続けるなら、関係は崩れるどころか、むしろ困難を共有したことで、より強固な絆へと進化することがある。
信頼とは、完璧を求める関係ではなく、
不完全さを抱えたまま寄り添い続ける関係である。
真の信頼関係には、「軸」がある。
それは、相手への敬意であり、透明性であり、そして何よりも、共に乗り越えようとする意志である。
小さな失敗で崩れる信頼は、まだ「薄い信頼」かもしれない。
だが、その「薄い信頼」を、失敗すら糧にして
「崩れない信頼」へと育てていくこと。
それこそが、私たちに課された永遠のテーマである。
信頼は、築くのは困難である。
しかし、その価値は、計り知れない。
そして、ふと立ち止まる。
自分は、誰をどれほど信じているだろうか?
そして――
自分は、誰からどれほど信じられているだろうか?




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