明日という名の幻想
- ncu807
- 2月6日
- 読了時間: 2分
1997年5月7日、息子が逝った。
6歳だった。
2016年12月7日、父が他界した。
私は海外におり、最期に立ち会うことはできなかった。
死に目にも会えなかった。
どちらも、まったく予期していなかった。
「今日ではない」と、どこかで勝手に思い込んでいた日である。
何が起きるかは、誰にもわからない。
それでも人は、明日が当然のように来ると思って生きている。
目が覚めれば、今日の続きがあり、明日も似たような一日が待っていると疑わない。
だがそれは、昨日がそうだったからに過ぎない。未来が保証されているわけではない。
今日が繰り返される約束など、どこにもない。
一寸先は闇。
これは比喩ではなく、現実である。
息子も、父も、「また明日」がある前提の中で、突然いなくなった。
だから私は、「そのうち」「いつか」という言葉を信用しなくなった。
会いたい人がいるなら、今会う。
伝えたい言葉があるなら、今伝える。
やりたいことがあるなら、今やる。
人生は、長いようで短い。
そして終わりは、こちらの都合など待ってはくれない。
今日が最後の日でも、後悔しないか。
この一日を、どう生きるか。
私が考えているのは、それだけである。
明日は、起きたらそこにあるとは限らない。
だからこそ、今日を生きる。
ただ、それだけ。




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