狂ったおじさんと呼ばれて
- ncu807
- 9月21日
- 読了時間: 2分
先日、とある勉強会とランチ会にゲスト参加させていただいた。
その場で主催者が私を紹介してくださったのだが、開口一番こう言われた。
「この人が札幌の狂ったおじさんです」
会場が笑いに包まれる。
私自身も思わず苦笑しながら、しかし心のどこかで「なるほど」と頷いていた。
彼はよく私をこのように紹介してくださる。
「この人は朝四時に起きて夜は八時に寝るそうです。毎日十五人とオンライン面談をし、千人規模の経営者交流会をたった三年で立ち上げました。とにかく行動量が異常です。だから狂ったおじさんなんです。」
多少の誇張や脚色はあるにせよ、有難い紹介である。
なぜなら私にとって「狂っている」と言われることは最高の誉め言葉だからだ。
思うに、超一流と呼ばれる人は大抵どこか狂っている。
正気では到底続けられないほどの努力を重ね、常人には考えられない執念を燃やし、気がふれるほど藻掻いた人だけが、何かを成し遂げるのではないか。
私はそう信じている。
だからこそ「狂気」という言葉を恐れない。
むしろそれを自分の指標にしたいとすら思っている。
とはいえ、私などはまだまだである。
世の中には本当の意味での化け物、変人、奇人が存在する。
この四年間で、私はおそらく七千人以上の経営者とオンラインで面談してきた。
その中には鬼のように動き続ける人、常人には理解できないスピードと熱量で事業を伸ばす人が少なくない。
「この方こそ本物の狂人だ」と唸らされる瞬間が何度もあった。
最近ではそうした方々にリアルでもお会いできるようになり、ますます刺激を受けている。
自分の小ささを痛感する一方で、同じ時代に同じ空気を吸って生きられることを嬉しく思う。
常に世を動かすのは「狂人」なのかもしれない。
歴史を振り返っても、常識に安住する人間が大きな変革をもたらした例は少ない。
笑われても、批判されても、狂っていると呼ばれてもなお突き進む人だけが、新しい景色を見せてくれる。
私もその仲間入りを果たせるよう、名実ともに「狂ったおじさん」と呼ばれるにふさわしい存在になれるよう、これからも精進していきたい。
さて、今日は何に「狂う」のか?
一心不乱にカミさんとデートでもしてみよう。




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