静かな情熱は習慣の中から
- ncu807
- 2 日前
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走り始める理由は、いつも「情熱」である。
新しい挑戦や、自分を変えたいという衝動に突き動かされる瞬間。
その火は強く、眩しく、何もかもを変えてくれるように思えた。
けれど火である以上、燃え尽きるときは必ずやってくる。
心が冷めたわけではないのに、身体が動かなくなる。
「昨日まであれほど燃えていたのに、なぜ今日はこんなに重たいのか」と、自分を責めてしまうこともあった。
では、どうすれば続けられるのか。
私がたどり着いた答えは「習慣」である。
習慣として刻まれる一日
朝起きると、まずベッドの上でブログを書く。
そのあと仏壇に手を合わせる。
メールやSNSを確認する。
昼休憩を挟みながら、一日に十人以上の経営者とオンラインで面談する。
気になることがあればすぐに調べ、会いたい経営者がいればどうすれば会えるかを考え、実践する。
シャワーを浴びながらは、必ず事業計画を練っている。
これらは特別なことではない。
誰に見せるためでもなく、ただ日々繰り返している習慣である。
走ることと同じように、「今日はやる気があるかどうか」に左右されるのではなく、「やることだからやる」。
静かに、淡々と積み重なっていく営みである。
習慣の先に戻ってくる情熱
不思議なことに、習慣を重ねていると、ある日ふと情熱が戻ってくる。
経営者との対話の中で、あるいはシャワー中のひらめきで、「これだ」と心が熱くなる瞬間が訪れる。
その熱は、かつての衝動的な炎とは違う。
習慣の土台に支えられた、落ち着いた温かさである。
燃え広がる火ではなく、芯からじんわりと温めてくれる炭火のような熱だ。
そして私は気づいた。
情熱は追い求めるものではなく、習慣の中から自然に立ち上がってくるものであると。
経営者たちが教えてくれたこと
思えば、私が出会ってきた多くの経営者もまた、同じ道を歩んでいた。
最初の原動力は強烈な情熱でありながら、それを支えているのは日々の習慣であった。
経営の厳しさに直面したとき、彼らを支えたのは突発的な感情ではない。
淡々と積み重ねてきたリズムである。
その姿を見て、私は学んだ。
「走りつづける」ということは、燃え尽きるまで走ることではない。
燃やし尽くすのではなく、静かに燃え続ける仕組みを自分の中に築くことであると。
静かな情熱へ
習慣は、ときに退屈に思える。
変化もなければ、劇的な高揚感もない。
しかし、その淡々とした積み重ねの中にこそ、確かな前進がある。
そしてある日、不意に戻ってくる情熱は、かつてよりも静かで、深く、長く続く。
それは炭火のように、時間をかけて周囲を温め、いつのまにか自分自身をも包み込んでいる。
走り続ける理由を「情熱」に求めるのではなく、「習慣」に委ねる。
その選択が、これからの自分をどこへ連れて行ってくれるのかは、まだ分からない。
だが私は信じている。
習慣の中で繰り返し歩む先に、再び静かな情熱が立ち上がることを。
そしてそれは、きっとあなたも同じなのではないだろうか?

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