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「普通」を疑え

  • 執筆者の写真: ncu807
    ncu807
  • 1 日前
  • 読了時間: 2分

先週の稼働日数は3日だったが、その間に40件のオンライン面談と、2件のライブ対談をこなした。

Zoomで向き合った人数は延べ45人だ。


この話をすると、たいてい驚かれる。

「そんなに毎日たくさんの人と話して、訳が分からなくなったりしないんですか?」

よく聞かれる質問のひとつだ。


「そうなんですよ〜、もう混乱しっぱなしで(笑)」

と、冗談で返すこともあるが、実際のところは少し違う。

日に16件、週60件の面談でも、ペースさえ掴めば問題なくこなせると、過去の経験から実証済みである。


なぜ?


答えはシンプルだ。「慣れ」である。

思い返せば、毎週40面談のペースで4年が過ぎた。

最初は当然ながら、負荷を感じた。話し終えた後はぐったりし、情報の整理もままならなかった。

だが、続けるうちに体がリズムを覚え、集中のスイッチも自然に入るようになっていった。


「慣れ」とは、恐ろしいものだ。

同じことを繰り返すうちに、かつて「無理だ」と感じたことが、いつの間にか「日常」に変わっていく。

つまり、自分の基準を静かに、しかし確実に書き換えていくのである。


この話をすると、野球選手やマラソンランナーの例を思い出す。

プロを目指す選手たちは、人並み以上に素振りを繰り返す。

オリンピックを目指すランナーは、常人では想像もつかない距離を、日々走っている。

彼らはそれを「特別なこと」とは思っていない。ただ、それが「当たり前の習慣」になっているだけだ。


私のような凡人は、普通のことをやっていては、並みの成果すらおぼつかない。

人の2〜3倍やってようやく“人並み”、4〜5倍やってようやくスタートラインに立てる。

私自身がこの面談習慣を通じて実感してきた。


ただし、量をこなすだけでは意味がない。

大切なのは「どう向き合うか」である。

1件1件の面談に集中し、相手の言葉に耳を傾け、自分自身の中に問いを残す。

数をこなすほどに、ひとつひとつの出会いを丁寧に扱う意識も磨かれていく。


「普通」とは何か?

それは他人が決めるものではない。

毎日の積み重ねが、自分にとっての「普通」を静かに更新していく。

だから私は、今日もまた一人ひとりと向き合う。自分自身の仕事習慣を、少しずつ育てながら。


「普通」とは、誰の基準だろうか?

私は毎日塗り替えていきたい。


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