本当の自立
- ncu807
- 10月29日
- 読了時間: 3分
その時、私は釜山のホテルにいた。
会社の同僚たちと束の間の休暇を楽しんでいた。
「これからカジノでも行こうか」──そんな軽い会話で笑い合っていた時、妻から一本の電話が入った。
「おとうさん、亡くなった。」
あまりに突然で、言葉を失った。
退院後の体調が思わしくないことは分かっていた。
しかし、まさかこんな急にその時が来るとは思わなかった。
すぐに帰ることも考えたが、翌朝の便で帰国する予定だった。
同僚には何も告げず、「少し体調が悪い」とだけ言って部屋に残った。
一晩中、眠れなかった。
天井を見つめながら、父の顔と声が頭の中をぐるぐると巡った。
翌日、千歳に着くと同僚に事情を話し、そのまま斎場へ向かった。
冷たくなった父の頬に手を当てた瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。
何も孝行できなかった。
いつも厳しく、しかし優しかった。
そんな父がもうどこにもいないという現実が、胸をえぐった。
恥ずかしながら、私が「自立している」と実感したのは、父の死後からである。
父の存在は、精神的な支えであると同時に、甘えでもあった。
「後ろに父がいる」──その感覚が、いつも私を守っていた。
その背中がなくなった時、初めて自分の足で立っていると感じた。
心のどこかにあった「父がいる」という依存が、ようやく消えたのかもしれない。
父は、努力の人だった。
複雑な家庭環境に生まれ、家族の愛に渇望した幼少時代を過ごした。
12歳で自ら丁稚奉公に、自活する道を選んだ。戦時中は軍需工場へ、その後は徴兵。石川で終戦を迎えた。
戦後、北海道の職員となり、弟と父を呼び寄せて養った。後に父はこの時初めて「家族」を感じたと言っていたのを覚えている。
東京事務所に赴任した五年間は、夜学に通いながら高校と大学の学位を取得した。
昼は仕事に集中し、夜は寝ずに勉強した。
ひたむきな努力で人生を切り開いた人である。
公務員として北海道の水産行政に情熱を注ぎ、時に国会議員を相手にしても決して怯むことはなかった。
正義感が強く、筋を通す人だった。
私はそんな父を心から尊敬していたし、自慢の父でもあった。
今でも、時に道に迷うと仏壇の前に座る。
線香を立て、静かに語りかける。
もちろん、答えが返ってくるわけではない。
けれど、問いながら、心の中で父の声を探している自分がいる。
それはもう「父に尋ねる」というよりも、自分の中の父の教えを確かめる時間なのだろう。
あの日からずっと、私の中には父が生きている。
そして今ようやく思う。
支えを失ってこそ、人は本当の意味で立ち上がるのかもしれない。




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