正しさの行方
- ncu807
- 3 日前
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誰が正しいのか。
この問いは、人が社会と関わり始めたその瞬間から続いている。
議論の場でも、職場でも、家庭でも。
私たちはいつも「どちらが正しいか」を確かめようとする。
だが、その正しさとは一体どこにあるのだろうか。
あなたの意見は、これまでの人生で見聞きしてきたものの集大成に他ならない。
そして、あなたが「答え」を求めて識者に尋ねたとしても、その識者もまた、自らの経験と価値観をもとに語っているだけである。
つまり、そこにあるのは「彼の正しさ」であって、あなたの人生における正解ではない。
世の中には「正しいこと」が溢れている。
ビジネスの教科書にも、成功者のスピーチにも、SNSのタイムラインにも、数えきれないほどの“正解”が並んでいる。
だが、それらを追いかけているうちに、いつの間にか自分の中の声がかき消されてしまうことがある。
経営の現場でも同じだ。
「常識的に考えれば」「業界的にはこうだ」——そんな言葉が飛び交う。
それは一見合理的に見えるが、本当にその判断は、自分の信念から出たものだろうか。
誰かの基準を借りた“正しさ”は、時に自分を遠ざけてしまう。
では、何を拠り所にすればいいのか。
それは、自分の中にある“誠実さ”だと思う。
他人と比べて生まれる正しさではなく、自分がどうありたいかという心の軸。
その声に耳を澄ませることこそが、本当の判断を導く。
判断とは、正解を探す行為ではない。
自分が何を大切にしたいのかを確かめる行為である。
その軸がある限り、結果がどう転んでも、そこに迷いはない。
誰かの正しさをなぞるのではなく、自らの誠実さを信じて歩くこと。
それが、混沌とした時代を生き抜くための唯一の道ではないかと思う。
「正しいかどうか」よりも、「自分にとって納得できるかどうか」。
その問いの方が、よほど確かな羅針盤になる。
そして最後に残るのは、たったひとつの答えだ。
正解は、自身で決めたもの。
それしかない。




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